新歩道橋891回

2014年10月3日更新



 無闇に心が踊る。新しい台本を手にした時だ。どんな芝居なのか、どんな役を貰えたのか。淡いベージュ色の表紙には、作・演出横澤祐一「深川の赤い橋」二幕――と、明朝の活字でクッキリ印刷されている。劇団東宝現代劇七五人の会第二九回公演、二〇一四年十一月五日(水)より十一月九日(日)まで、深川江戸資料館小劇場にてと、表紙左隅にこれも明朝で2行。
 《おお、そうか、そうか...》
 と、嬉しさについ指でなぞってしまう僕...。
 「ざっと目を通してもらって、30分後から読み合わせをしましょうか」
 舞台監督那須いたるが、妙に明るい声で言う。9月24日午後、池袋・要町から遊歩道をしばらく行ったいつものけいこ場。顔合わせのその場で台本を貰って、即読み合わせと、何も彼も一ぺんにやるのも、きわめて刺激的だ。
 舞台は深川、永代橋に近く、大川に注ぐ油堀川の河口あたりにある竹中医院の待合室。今回はここに出入りするごく庶民的な人々の交遊を描く人情劇で、読み進むうちに役者たちがクスクス笑うのは、機微に触れるセリフが随所に書き込まれているせいだ。僕の役は西村木材の主人西村次郎で60才くらい。時は昭和48年ごろ、亀之湯の亭主亀島一太郎(これを作・演出の横澤がやる!)と将棋を指しているところからお話が始まる。
 5年前に「浅草瓢箪池」に出して貰って、今では僕もこの劇団の劇団員。すっかりおなじみの先輩たちにあいさつしながら、
 《横澤さんの深川ものに出るのは、これで三作めになるか!》
 多少の感慨は禁じ得ない。「水の行方・深川物語」が3年前で、堀川銘木店が舞台。ここで僕は元筏乗りの番頭武さんをやった。お次が昨年の「芝翫河岸の旦那・十号館二〇一号室始末」で、深川の集合住宅の一室が舞台。これで僕は万引き癖がバレて失踪中のサラリーマン夏目磯八という、不思議な男をやらせてもらった。今回もそうだが、下町の熟年男女がポンポン言い合う好人物ぞろいで、愛すべきキャラクターが何種類か。
 《すっかり秋だが、まだ夏のさるすべりが元気だ》
 けいこ場への道すがら、あれは漢字で書けば「百日紅」...と思い出す。ここ何日かは旅先で、何回もさるすべりを見た。義父の十七回忌法要に出かけた岐阜。斎藤道三の城を頂きに置く金華山と、そのふもとの岐阜公園にもあちこちに咲いていた。渓流の岸には郡生する曼珠沙華の赤。カラオケがまだなかった昔、ギターの弾き語り相手に何曲か歌った僕に、阿久悠がリクエストしたのが「恋の曼珠沙華」だった。40年超のつき合いだったが、彼は一度も歌ったことがない。しかし作詞する時は人知れず、歌っていたはずなのだ。彼の詞からは明らかに、メロディーが聴こえていたと僕は思っている。
 はやり歌評判屋の旅には、歌がついて回る。岐阜と言えば長良川。この川なら五木ひろしの「長良川艶歌」で、昭和59年のレコード大賞か。作曲者岡千秋のうちうちの祝宴へ、僕を誘ったのは吉岡治だった。初めて岐阜へ行ったのは、美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」で、昭和41年だからそれより18年前...。ぶつぶつ一人言の僕に、つれあいが呆れた声をかける。何言ってんだい、そういうお前だって流行歌稼業のはしくれじゃないか!
 せっかくだから一晩くらいは...と、骨休めのつもりで下呂温泉に寄る。杉木立うっそうの山の中腹にある湯之島館。昭和6年によくもまあ...と驚いた数奇屋造りの3階建だ。ここにもまた赤くさるすべりが咲いていて、どこからか金木犀の香りがした。そう言えばつれあいの故郷・岐阜で、結婚のお披露めをしたのも9月23日の秋分の日だった。阿久悠、三木たかし、田辺エージェンシー田邊昭知社長、アップフロントの山崎直樹会長ら、そうそうたるメンバーを雑魚寝させる乱暴すぎる企て。平成元年のことだから丸25年前。やばい! 25年って何かの節目じゃなかったか?
 けいこ場通いのさるすべりから、ずるずる年寄りじみた回顧気分のあれこれ。かくてはならじ! と僕は気を引き締める。やたらに多いセリフ相手に10月いっぱいは、記憶力と格闘する日々になる。

週刊ミュージック・リポート