新歩道橋894回

2014年11月9日更新


 芝居の夢を見る。けいこ中のものの一場面だ。いつも通りの立ち位置で共演する人々がいる。いつも通りにお話が進むはずが、何と、突然みんながまるで知らない台詞をしゃべり始める。別世界に放り込まれる僕、棒立ちになる僕、頭の中が真っ白になる僕。

 《何だ? えっ? 一体何が始まったんだ?》

 逆上のてっぺんで眼がさめる。ガバッと起き上がって、やっと夢と悟る。べっとりと脇の下に冷や汗...。

 東宝現代劇75人の会公演は11月5日が初日。それを目指して、連日のけいこがあと10日余りだ。横澤祐一作・演出の「深川の赤い橋」は、言ってみれば台詞劇。会費を集めての自主公演で、舞台装置は一景分だけだから、自然にそうなる。しかし、相当多めの台詞を、単にしゃべるだけでは、芝居になるまい。それぞれの、その時々の心理やら思いのたけやらに、動きがつく。大きな動きや微妙な動きの連続で、登場人物のひととなりや、話の行きがかりや、人と人のかねあいが肉付けされていくのだ。

 ま、芝居だもの当たり前のことなのだが、これが実に何ともむずかしい。時代劇だと衣装で隠れていた猫背、膝折れの体つきや動きの癖が、今回は現代劇だから、もろにあらわになるのも難点。共演する人々には、そんな心配はない。芸歴50年前後のベテラン揃いだもの、みんな個性的にさっさと役をこなしていく。それをまじまじと見守りながら、僕は我と我が身まで見回す。未熟ってことはつまり、こういうことなのだと、心中ひそかに合点する。

 舞台は深川のとある医院の待合室。そこに出入りする人々のドラマで、時は昭和40年代後半。木場が新木場に移転、材木を運んだ油堀川が埋め立てられそうになる。20年前の洪水で息子夫婦を失った供養に、その川に橋を架けたいという老医師夫人(菅野園子)の願いは、果たして成就するのかどうか? そのために奔走する気配の民生委員の風呂屋のおやじと、医師夫人の弟で建設会社社長がいる。作・演出の横澤が亀の湯の主で、社長は丸山博一。双方長く東宝演劇を支えて来て、キャリア50年超が、丁々発止のやりとりを始める。これがうっとりするくらいの呼吸で、得も言われぬ味わい。ごく自然な会話がひょいと、役柄なりの誇張をまじえて、うねりを作っていくさまが、やたらに面白い。

 この芝居の幕あけ、僕は材木屋のおやじ西村次郎として、亀の湯の横澤とヘボ将棋を差している。医院の待合室を勝手に遊び場にしている常連。のぞき込むのは、お節介おばさん(新井みよ子)で、老練ひょうひょう内山恵司扮する老医院長の孫娘(松村朋子)が詮索するから、僕のふしだらな私生活が露見する。本妻(梅原妙美)と愛人(下山田ひろの)と同じ町内で暮らしているが、モテ男かと言うとさにあらずのドタドタぶり...。医院の家政婦(鈴木雅)や区役所の職員(髙橋志麻子)が出て来て、けいこ万端の世話になる舞台監督の那須いたるまで、僕のひ弱な息子として登場する。

 それやこれやが繰り広げる下町人情劇を、これまた下町の深川江戸資料館小劇場でやる。11月5日から5日間の7公演だが、僕のこの劇団出演は今回で6年連続6回目。そのうち5回はこの劇場だから、いい加減慣れそうなものだが、まだまだ慣れるなんてことはない。毎回、分に過ぎるいい役を貰って出づっぱりなので、嬉しい限りなのだが、四苦八苦が実情だ。

 「小西さん、もうちゃんと台詞が入ってるねえ」

などと、女優さんにおだてられても、その気にはなれない。台詞はまだ「覚えた」ところどまりで、役なりにこなせなければ「入る」ことなど程遠いだろう。

 慣れて来たのは、けいこ帰りの居酒屋談義くらいで、これも、

 「もう、しゃれや愛嬌って訳にやいかないし...」

 という横澤発言にドキッとする。舞台体験も8年めに入れば、見る側がしゃれや愛嬌で許してくれる時期はとうに過ぎたろう...の意と受け止めるせいだ。ビールのあとのホッピー2杯めのほろ酔いが、スッと醒める。これだもの、時おりへんな夢を見て、飛び起きるはずだわ...とうつ向いて人知れず、苦笑いをする日々である。

週刊ミュージック・リポート