新歩道橋895回

2014年11月14日更新


 11月5日午後4時、舞台の初日があいた。この日東京・深川は薄曇り、ピリッとした冬型の空気が心地よかった。東宝現代劇75人の会の深川江戸資料館小劇場公演「深川の赤い橋」(作・演出横澤祐一)は、午前11時過ぎから舞台げいこをやって夕刻の本番である。メーキャップほどほど、衣装を替えながらの最後のけいこは、僕もいっぱしの役者気分。ところどころにほころびがあったが、本番は存外スラスラと行った。客が入れば俄然〝その気〟になったりするものなのだ。

 開演前に劇場入り口で、老紳士にばったり会う。

 「もうおいでになったのですか!」

 と小腰かがめた僕を、傍で見ていた横澤が

 「あんたが敬語を使うのを初めて見た。どなたなの?」

 と笑う。頭をかきながら紹介した相手は、元スポーツニッポン新聞社の社長牧内節男氏。僕を傍系会社から呼び戻し、編集局長として存分の日々を過ごさせてくれた恩人だ。もう90才になるご老体だが、無理を承知で晴れ舞台!? を観てもらってのこと。

 もう一人、開演直前の客席へあいさつに行ったのは、田辺エージェンシー田邊昭知社長。こちらもごく多忙なのを承知で観に来てもらった。スパイダースが売り出し前からの親交があり、9月に久し振りに会ったら、

 「ねえ、近ごろは役者三昧なんだって?」

 「うん、もう8年めになったんだから、一度見に来てよ」

 の問答が、こういう形で実現した。牧内、田邊のお二人には、居合わせたスポニチの面々や歌社会の人々がギョッとしたり、恐縮したり。バーニングの周防郁雄社長からの差し入れが山ほどだから、「それにしても...」の眼を僕に向ける向きもある。

 この芝居の僕の役は、深川の材木屋の社長・西村次郎。本妻(梅原妙美)と息子(那須いたる)をほっぽり出して3年、同じ町内の愛人(下山田ひろの)の家に入り浸りという不らちな男だ。それが町医者の待合室を遊び場にして、町内の銭湯のおやじ(横澤)やお節介ばあさん(新井みよ子)らとわいわいがやがや。お話の縦糸は老医師(内山恵司)の夫人(菅野園子)の、掘割に橋を架けて、死んだ息子夫婦の供養をしたいという悲願だ。その財産をわがものにと画策する夫人の弟(丸山博一)がかき回すなど、笑いと涙としみじみの下町人情劇。

 舞台も深川、ものがものだから、セリフのやりとりは威勢のいい下町弁。乱暴な口調は常日ごろの僕だが、案外おっとり系だったと気づく。ポンポン行くべきところに微妙な間(ま)があるらしく、けいこの時から

 「もっとテンポを!」

 のダメが出ていた。テンポ! テンポ! と思い詰めると、肝心なセリフがすべるし、相手のセリフにかぶる。芝居慣れはそこそこと、ひそかな自負はあっても、初日はやはり緊張するのだろう。ポンポンがまだ体になじんでないせいか、言動がなかなかのびやかになれない自覚症状が残る。

 見てくれた友人たちは、

 「さすがだよ。もう一人前の役者だよ」

 などと身内ぼめをしてくれる。何でもいいから、おだてておいてよ! と、こちらは木に昇る猿になりたい心境だ。今に見ていろ、淀みなくやって見せるから...と心中ひそかに決意するが、芝居と客も一期一会、今日の客に明日の覚悟じゃ申し訳が立つまい。

 「今日で全部が終わり。あとはずるっとそのまんまいけるよ」

 ベテラン共演陣は事もなげに言い放つ。「ン?」とその意味をはかりかねながら、とりあえず初日終了後は門前仲町の宇多川へ繰り出す。

 「やあやあ、お疲れさま」

 の笑顔は四方章人や元ビクターの朝倉隆ら。この地域はもともと越中島のスポニチの縄張りで、この店は仲町会の主戦場でもある。

 「仲町会ももう21年めに入ったもんね」

 と四方が威気揚々なら、永久幹事の朝倉も

 「そう、そう!」

 と、冷酒の酔いでいつもみたいに、体をくねくねさせはじめた。

芝居初日と気のおけない友人。冬の深川もなかなかの風情である。

週刊ミュージック・リポート