昼まで寝坊をした。お陰で久しぶりにすっきりした眼覚めである。すぐに猫の風(ふう)が声をかけて来る。昼めしの催促。こいつ人間で言えば熟女の年ごろで、ふだんは寝てばかりの愛想なしだが、こういう時だけは猫なで声ですり寄る。ベランダの向こうは快晴の青空と白波大きめの海。対岸には上手から下手へ、丹沢、箱根、伊豆半島の山々が稜線を作り、ド真ん中に雪を頂いた富士山がある。
《昨夜の酒もよかったしな...》
背のびしながら、そんな事を考える。
前日の11月12日は、辻堂の船村徹家にいた。日光に出来る船村徹記念館の打ち合わせを昼から。乃村工芸の藤本強、アクロスの馬止理行の両君を大阪、和歌山から呼んだ。館内の装飾全般と映像関係の責任者である。記念館は来年4月27日オープンが目標。単なる資料館では人が呼べないから、かなり刺激的でエンタテイメント性の強いものを狙っている。いわば船村アミューズメント。打ち合わせも大詰めだから、喜怒哀楽社社長で船村夫人の福田佳子さん、山路匂子さんと一緒に、僕が相応のダメを出す。10月のけいこから今月初旬の本番まで、役者としてダメを貰い続けたあとだから、なかなかにいい気分。午後5時の開店を待つように、近くのこじゃれた酒場へくり出した。藤本、馬止の二人は、周防大島の星野哲郎記念館を一緒に作ったから、肝胆相照らす仲だ。
東宝現代劇75人の会、深川江戸資料館小劇場公演の「深川の赤い橋」は9日千秋楽で5日間7公演を終えた。びっくりするくらい大勢の知人、友人が見に来てくれて、身内ぼめの言葉も貰った。劇団の打ち上げの酒にも酔った。
一夜明けて11日は、小金井の星野哲郎宅へ出かけた。今月15日が4回目の命日。それを前倒して紙舟忌の法要がある。とは言え仏壇に線香をあげて、あとは午後4時から酒宴である。毎年集まるのはメーカー各社の星野番で作る哲の会、宇山清太郎が筆頭の星野の弟子の会桜澄舎の面々に、昔から星野家出入りの人々。当然志賀大介、星村龍一、さくらちさとらの顔も見える。クラウン出身で紙の舟を手伝う広瀬哲哉の進行で、15分おきの献杯の連続。誰彼なく指名されれば星野の思い出話をして杯をあげる趣向が延々と続く。その都度起こる笑い声と、献杯なのに拍手が起こる無礼講。星野の長男真澄君夫妻と長女桜子さん夫妻がホストをやったり、給仕をしたりの心尽くしに、おしげやさっちゃんも甲斐々々しい。
ひところは星野を囲んで、カンカンガクガクの大騒ぎをした哲の会の面々が、粛々と会話を交わしている。法要の席のせいかというとさにあらずで、
「みんな、年をとったということか!」
と、境弘邦、大木舜、古川健仁らと笑い合う。そう言えば...と見回すと、毎年中山大三郎の名を挙げながら、管を巻く松下章一の顔がない。
「ターマス(彼の仇名)は仕事で地方へ行ってるんだよ」
と誰かがその消息を話す。桜澄舎の幹部髙田ひろおが居ないのは、
「あいつ、風邪で熱出して、千葉で寝込んでる」
と、これまた誰かが伝える消息。二人とも、不参加がさぞ残念だったろう。
湘南新宿ラインと中央線を乗り継いだ往復。気づけば僕はまだ、芝居のせりふをぶつぶつ繰っている。二カ月近く、なり切ろうとした深川の材木屋のおやじ西村次郎からは、そう簡単に抜け出せないものかと苦笑した。けいこのウォーミングアップで尻上がり、公演中はハイになりっぱなしの日々が続いて、プツンと仕事が終わる。夢かうつつかの世界に、心身ともに同化し切ろうと務めたあとだから、そこからもとの流行歌評判屋に解脱するには時間がかかる。体の芯の部分まで疲れという形でイヤイヤをするのだ。千秋楽の舞台にも、ダメが出た。「明日頑張ります!」と作・演出の横澤祐一にジョークを返したが、その明日はいつくることやら――。
とりあえず僕は、船村徹、星野哲郎がらみで、歌社会へ復帰した。ありがたいとっかかりである。