新歩道橋907回

2015年4月5日更新


 「子宝に恵まれなかったから、残り少ない毎日を、夫婦で楽しく暮らそう。そう誓い合って店をたたんだ矢先に、連れ合いを亡くして...」
 と、世をはかなんでいる老人を演じることになった。4月9日から10日間、三越劇場の15公演、時代劇「居酒屋お夏」(原作、脚本、演出岡本さとる)で、主演は名取裕子―。
 《またかよ!》
 という顔を、歌謡界のあちこちで散見する。例えば4月27日、栃木・日光市にオープンする船村徹記念館や、5月8日に帝国ホテルでやる三木たかし七回忌の集いの打ち合わせ。そのほか人に会うたびに、どうしても芝居の話が先に立つ。
 「何ともはや、ご心配をかけるばかりで...」
 などと頭をかきながら、バッグから公演のチラシを持ち出すなど、こちらも何だか手つきが慣れて来ている。
 平成18年の7月、川中美幸の「お喜久恋歌一番纏」(明治座)に出してもらったのが初舞台だから、この仕事ももう9年めになる。声をかけてくれたアルデルジローの我妻忠義社長も、今にして思えば相当な度胸。何しろ僕の〝そのケ〟は、業界のパーティーなどのあいさつを見ただけのことだった。それにまた「ほい、ほい」と乗って、70才の手習いを始めた僕も、相当なお調子者だが、取材で見聞きした舞台の表や裏も、入ってみれば別世界。以降川中一座の光栄なレギュラー出演者だが、一から勉強々々で、いまだに肝に銘じているのが、
 「知っていることと、出来ることは違う!」
 の一言なのだ。
 今回ご一緒する名取裕子は、その翌年の19年5月、大阪松竹座の「妻への詫び状・星野哲郎物語」でお世話になった。僕の二本めの舞台で、彼女が星野夫人の朱實さん役、僕は水前寺清子の父親役だった。制作したアーティストジャパンの岡本多鶴プロデューサーと会ったのは、公演アドバイザーを頼まれてのこと。星野哲郎については自称専門家だから、裏方で手伝うつもりなのが
 「出ません?」
 の一言に、即座に飛びついて出演者になった。それがいきなり台本2ページ分もの長ゼリフだから、やった方もやらせた方も、これまた相当にいい度胸と言うしかない。
 縁というのは恐ろしいくらいで、明治座と松竹座の二本で、面倒を見てくれたのがベテラン俳優の横澤祐一。2年後にこの人から声がかかって、東宝現代劇75人の会の「浅草瓢箪池」に出たのが平成21年の7月。以後毎年の公演で滅法いい役を貰い続けて、今やこの会のメンバーの一人である。アルバイトのボーヤから44年勤めたスポーツニッポン新聞社に続いて、生涯二つめの所属先で、作、演出もやる横澤は、僕のこの道の師匠になった。
 今回の「居酒屋お夏」は、3月20日がけいこ初日で、顔合わせ、台本の読み合わせから、衣装合わせ、かつら合わせも。それに先立つ18日、千葉の大栄カントリー倶楽部で「小幡欣治杯コンペ」があった。亡くなった高名な劇作家で演出家の名を冠にする会で、紹介してくれた横澤や75人の会の先輩丸山博一、演出家の北村文典、演劇評論家の矢野誠一、横溝幸子、木村隆の各氏に宝塚劇場の小川甲子支配人など、そうそうたるメンバーが集まる。
 《ようしっ!》
 とすぐその気になる僕は、優勝して4月の舞台への吉兆に...と勢い込んだが、結果は3位に止まる。スコアは? と聞かれるとうつむくが、100が切れなくたって3位は3位だ! と自分に言い聞かせながら、帰途で思い当たったことがある。世の中万事、一心不乱に10年もやれば、大ていはその道のプロだろう。しかし、何事にも例外はあって、その最大の二つはゴルフと芝居なのは確かだ。
 「居酒屋お夏」の出演者は、名取のほかに目黒祐樹、青空球児、河原崎国太郎、樹里咲穂に東西大衆演劇の名うて門戸竜二と津川竜ら多士済々。何度も一緒の舞台に立った田井宏明、安藤一人、綿引大介らお仲間もいて、僕は緊張と浮き浮きの日々を送ることになる。このコラムがお手許に届くころは、せっせと新宿のけいこ場に通っている。
週刊ミュージック・リポート