新歩道橋911回

2015年5月9日更新


 山あいに名残りのサクラの花が白く、田園風景のあちこちには、ヤシオツツジの赤やピンクが咲き始めた。野原には、だいこんの花の紫が群れ、家々の庭には草花が色とりどりで、街道には樹齢300余年の杉並木...。栃木・日光市今市は春らんまんの季節で、4月27日は気温28度、真夏日の陽差しが降り注いだ。
 「ここまでいい天気にならなくてもなあ...」
 この日、そんな故郷にオープンした「船村徹記念館」に現れた船村は、
 「生きてるうちに作るのは勘弁してほしいと言ったんだが...」
 と、眼をしばたたかせてしきりに照れた。
 「立派なものが出来ましたねえ」
 東京から駆けつけた歌謡界の首脳たちが、一様に口を揃える。鉄筋コンクリート3階建て、日光街道に面した市街地の再開発、2800平方メートルの敷地に市が作った「道の駅日光・ニコニコ本陣」のランドマークが記念館の位置づけだ。昭和、平成を代表する作曲家の「人と仕事と仲間、歌、夢、志」5000曲余のすべてが凝縮して展示されている。
 「びっくりしました。相当な迫力です」
 これも来賓が異口同音になったのは、いわば玄関展示の「夢劇場」で、巨大な3D映像仕立て。船村の歌心を育てた栃木の四季の景観から始まって、立体の北島三郎、ちあきなおみ、島倉千代子、大月みやこ、鳥羽一郎、美空ひばりらが船村の代表作を歌う。曲ごとに架空の舞台が変化、雪やサクラ吹雪、荒波などが観客に舞いかかる仕組み。「みだれ髪」を歌い終わったひばりは不死鳥と化すが、それが客席へ突入するから、客は声をあげてのけぞったりする。通底音として流れるのは「別れの一本杉」のメロディーで、船村作品が栃木から日本にひろがり、やがて外国人たちの合唱で世界各国を満たしていくさまが具体的だ。
 記念館の位置づけもあってのことだが、俗に言う資料館とは趣きを異にして、コンセプトは〝船村ワールドの体感〟と〝上質な娯楽性〟「歌の万華鏡」というブースは、船村作品のイメージ映像が、観客をぐるりと取り巻く円型劇場ふう。「風雪ながれ旅」「王将」「女の港」「おんなの宿」「海の祈り」などが、趣向を凝らした迫力画面でつづられている。〝体感型〟のもう一つの呼びものは「歌道場」と名づけたカラオケ施設3室で、その中の大きめのスペースでは、船村のコンサートに同行する仲間たちバンドの演奏をバックに歌えるうえ、DVDに焼いてお持ち帰りOK。ギターの名手斎藤功ら一流ミュージシャンを従えて歌う光景は、ファンの一人々々が北島三郎や美空ひばりと入れ替わってのスター気分だ。
 壁面には、船村作品600枚余のジャケット写真、ゆかりの歌手たち30人の手型などが並び、船村インタビューや演歌巡礼コンサート映像などで肉声が聞けるブースがあれば、年譜は生涯の友の作詞家高野公男のものと並んでいる。「別れの一本杉」でブレークしたコンビは、高野26才の死の別れだったが、その時船村は24才。今回の記念館オープンは、その高野の没後60周年に当たる。これも不思議な符合だろうか。
 オープニングに駆けつけたのは、北島、鳥羽、大月らに舟木一夫、森サカエ、由紀さおり、瀬川瑛子、松原のぶえ、増位山太志郎ら。作曲家協会の叶弦大会長、弦哲也理事長、作詩家協会喜多條忠会長、久仁京介副会長や日本音楽著作権協会の都倉俊一会長にレコード各社の社長や制作責任者、大手プロダクションの社長らも顔を揃えて、歌謡界そのものが東京から日光へ大移動したおもむきがある。そんな騒動を目撃しようと、早朝からつめかけたファンは3000人、市の関係者は、
 「こんなことは、市はじまって以来です」
 と驚嘆の声をもらした。翌28日は、記念館からニコニコ動画「JASRACちゃんねる」で2時間近くの生放送をインターネットにアップ。船村を囲んで鳥羽を筆頭に静太郎、天草二郎、走裕介と内弟子育ちの歌手が歌う名曲の数々...。
 準備から完成まで4年余、そのすべてを指揮した船村夫人の福田佳子喜怒哀楽社社長をはじめ、根気強く夢を形にしたスタッフ、当日を取り仕切ったメーカー各社のプロデューサーやOB、宣伝マンなど船村チームの面々も感慨深かげ。はばかりながら僕も4年間、その一員だった。
週刊ミュージック・リポート