新歩道橋922回

2015年8月30日更新


 「備中高梁」と書いて「びっちゅうたかはし」と読む。新幹線の岡山から伯備線の特急〝やくも〟に乗り替えて、ほぼ40分で着く城下町の駅名だ。雲海に浮かぶ天空の城として知られる備中松山城は町の北方、標高430メートルの臥牛山に建つ国の重要文化財。それを含めてぐるり四方を山で囲まれているのが、人口3万2000余の高梁市で、猛暑の夏、お盆の8月14日に僕はそこへ出かけた。
 《ことさらに、暑いだろうな...》
 と、僕は〝やくも〟の車内で観念する。倉敷を過ぎて20分ほど、左右の車窓には山また山が折り重なって迫って来る。目指したのはその中の盆地なのだ。
 《なるほど、確かにターザンの棲みかとしては絶好の山の深さだ...》
 と、そんなことも考える。この月、高梁で行われていたのは大森青児第一回監督作品「家族の日~ターザン故郷へ帰る」のロケ。岸部一徳扮する世捨人が、里の人々から〝ターザン〟と呼ばれ、恐れられていて、彼がこの映画のキィパーソンなのだ。
 「子供を育てるには、東京は不向き」
 と、君原信介(伊原剛志)喜美子(田中美里)夫婦が三人の子供を連れて、高梁の古民家に移住するのがドラマの発端。市の移住推進事業に乗ってのことだが、行けば行ったで、生活風習の違いから、おとなたちはトラブル続き、子供たちにも都会の子と地方の子の行き違いが生じる。そんなエピソードが積み重ねられるうちに、都会の子は豊かな自然になじみ、立ち入りを禁じられている山奥でターザンと遭遇する。疑心暗鬼のおとなを尻目に、子供たちの純真がターザンと互いに心を開いていく―。
 大森監督はNHK出身の名うての演出家。川中美幸の舞台公演「天空の夢」で彼女に芸術祭賞を受賞させている。その大森が念願の映画制作に乗り出したから、彼の仕事で縁を深めた俳優たちが賛同、大挙参加する賑いになった。前述の岸部、伊原、田中をはじめ、大竹まこと、川上麻衣子、石本興司らで、川中も平田満と地元の夫婦役で出演した。僕も川中の舞台2作で大森から滅法いい役を貰い、親交を深めているから、
 「およばずながら、どんな端役でも...」
 と申し出て参加するチャンスを得た。
 14日から3日間、お盆の最中は高梁で「備中たかはし松山踊り」がぶっ通しで開かれた。浴衣に島追い笠の踊り手が30人ほど組になり、それが20組もコンテストに参加する。駅前の目抜き通りを150メートルほど、細長い輪になって行きつ戻りつ。368年の伝統を誇る県下最大の盆踊りとあって、参加したのは市役所グループや地元企業の面々、大学生、長寿会、幼稚園のチームなど多士済々。14日はあいにくの雨になったが、ずぶ濡れもものともせずに品よく踊る。ごった返す見物の善男善女も、知らず知らず手を振り足を踏む踊り好きばかり。よく見れば、映画出演者の平田や川上も一心不乱だ。
 劇中、君原家の末っ子が行方不明になる。ターザンにさらわれたか...と、里の人々は山狩りまでする大騒ぎになるが、山で迷ったその子を助け、一緒にターザンが下山する。この騒動が都会一家と地元の人々の心をひとつに結びつけていくのか? 同時にターザンの身許も判明、口癖の「ケンチャンタ」に隠された意味もわかる。しかし疲れ切り、衰えたターザンはやがて死ぬ。その最期を看取る医師が、はばかりながら僕の役だ。と言っても白衣に聴診器で、ベッド傍に立ち、駆け込んで来た君原夫妻と子供たちに、
 「ご苦労さまです」
 と一言、看護師を促して病室を去るから、写っているのはほんの一分足らず...。
 僕はこの「家族の日~ターザン故郷へ帰る」の脚本を読んで、何度も目頭を熱くした。登場人物たちの心根の優しさ、温かさ。移住一家がターザンとの出会いを〝家族の日〟と思い定めるまでの葛藤と心の通わせ方に心を打たれるせいだ。
 大森さんの監督第一作に参加出来たことを、僕は大いに誇りにする。映画の公開の来春が待ち遠しいくらいだ。
週刊ミュージック・リポート