新歩道橋924回

2015年9月19日更新


 「ねぇ、頼むから〝特別出演〟って肩書きははずしてよ。ただ単に、年寄りなだけじゃない。切ないよ、そんなの...」
 顔合わせの日に僕は、主宰者の田村武也にそう頼んだ。集まった役者やミュージシャンたちが、こちらが気おくれするほどみんな若いのだ。田村は作曲家弦哲也の愛息。声がかかったのは彼が取り仕切る路地裏ナキムシ楽団の第6回公演「指切りげんまん」で、10月16日から3日間、東京・下落合のTACCS1179という小劇場でやる。 「青春ドラマチックフォーク」というサブタイトルが毎公演共通で、いわばコンセプト。主催・企画と作・演出が路地裏ナキムシ楽団とクレジットされている。どうやら田村武也が仲間と話し合いながら作っている芝居で、ドラマとオリジナルのフォークソングのコラボ。彼が中心のバンド6名が音楽と歌、荒川大三郎が中心の役者10名が芝居をやって、双方が交錯し相乗効果を挙げる仕組みだ。
 「第6回公演」を「第六泣き」と表記する。
 各公演、巷の人情の機微に触れるのが狙いのせいだろうが、いつもチケットが即完売の勢い。「一度、是非出てよ」と言われてはいたが、残念ながら僕は一度も見ていない。それだけにワクワクする。エピソードの一つずつを、歌でつなぎ盛り上げていくタイプなんて初体験だ。念のために書けば、歌はバンド、芝居は役者と、一緒に舞台に出ていても担当は別々だから、僕が歌うことはない。何しろモノがフォークである。演歌歌謡曲系の僕がバンド要員になるはずなどないだろう!
 「逃げっぱなしの人生にけりをつけろ!」が惹句である。舞台の中心は裏町の屋台。元ボクサーの錠島健吾(荒川)が、殴られ屋を兼業して暮らしている。そこに集まるのは、後悔を抱えた寂しがりやが何人か。だから展開するエピソードのテーマは「親子」「友情」「真実」「別れ」や「再出発」など。登場人物それぞれが語る〝寂しさのモト〟を、居合わせた常連がワイワイ言いながら解きほぐしていく。お涙ものの人情喜劇だが、決してじめつくことはない。セリフの多くがジョークまじりに明るく、役者たちが嬉しそうにそれと取り組む。センスもエネルギーも、やたらに若いのだ。
 「小西さんが出演されると聞いて、それなら私も...ってお引き受けしました」
 と、いきなりお愛想を言ってくれたのは小沢あきこ。歌手だが今回は役者チームで、水商売風の謎の女・愛衣をやる。「制作」に赤星尚也と我妻重範の名がある。赤星は弦哲也のマネジャーで車の運転もする年下の友人。我妻はアルデル・ジロー我妻忠義社長の息子で、こちらは工藤あやのの担当マネジャーとして顔なじみだ。二人とも本職の方が忙しいはずで、スケジュール的に大丈夫なのか? と、僕は余分な心配をする。もう一人の知人は東京音研の大須賀悟で、こちらは川中美幸の劇場公演で何かと世話になっている。今公演の音響を担当、顔合わせの日からマイクの数や種類のチェックに余念がなかった。
 けいこ場はおおむね、浜松町の文化放送ビル7階の会議室。以前阿久悠のトリビュート・アルバムづくりや、三木たかしの法要の打ち合わせなどで、しばしば通った部屋だ。トイレも喫煙所のありかも熟知していて、僕はそんな流行歌評判屋の気分と、新入り老役者の緊張が入り混じって妙な居心地になる。そう言えばJCMは田村武也の元の勤務先。バンドには浜本宏之、加藤孝史がいて、二人ともここの社員。根っからの音楽好きが勤務時間外の参加で、けいこが夜なのは、会議室の空き時間にそんな事情も加わってのことか。
 ところで僕の役だが、元警察官で、失踪中の勝山徳治。娘の綾子が探し当てて尋ねて来るが、10年ぶりの再会も酔ったふりで人違いだとはぐらかす。これにはいろいろ事情があって...という複雑な表現が求められる役だ。娘役は富永あきで、他に藍沢彩羽、千年弘高、小島督弘、松永直子、上村剛史らが役者。この世界で長く僕の弟分の、小森薫も久しぶりに一緒の舞台を踏む。彼はやたらてきぱきと僕のマネジャー役まで勤めている。
週刊ミュージック・リポート