新歩道橋927回

2015年10月18日更新


 「お陰さまでチケット完売です! 拍手!」
 10月1日、けいこの冒頭で主宰者の田村武也が宣言したから、僕はのけぞらんばかりに驚いた。路地裏ナキムシ楽団の公演「指切りげんまん」(作・演出同楽団)は16日が初日である。下落合のTACCS1179という小劇場にしろ、1回100余の入場券が3日間4公演分、半月前に売り切れるとは!
 役者連中は「当然!」みたいな笑顔を、拍手しながら見合わせる。けいこ終わりには、こればかりはどの公演に参加してもつきものの居酒屋の談論風発。
 「それにしても、さしたる宣伝の気配もないまま...」
 と不審な顔をしたら、役者のリーダー格の荒川大三郎が、
 「楽団そのものに、ファンがついてますから...」
 と、平然とした口調。同席した藍沢彩羽、小島督弘、千年弘高、富永あきあたりも、
 「ただの演劇じゃない。音楽がライブだもの...」
 と相づちが賑やかだ。彼や彼女らも仲間に声をかけているのだろうが、このグループは今回が6回目の公演で、もうそこまで力をつけたと言うことか。
 けいこを続けて判って来たことがある。「たむらかかし」を名乗る田村が脚本を書き演出もし、歌づくりもする。バンドの面々6人はみんなユーモラスな名を持ち、どこか僕の知らないところで音楽と歌をまとめている。一方役者連は文化放送の会議室や神田、早稲田、王子、池上などのけいこ場を転々としながら芝居に取り組む。主宰者の田村は二つの現場を行ったり来たり。その留守に芝居の方は、荒川が師範代を務めるかっこうだ。
 舞台は裏町の屋台周辺。そこに出入りする人々が、それぞれ抱えている葛藤を、みんなで解きほぐしていくオムニバス人情コメディー。けいこ場に田村と荒川が合流すると、舞台の設定やら大道具の手配や配置、小道具の有無などを打ち合わせはじめる。装置も美術も含めて、裏方の仕事もみんなやるのが当たり前。田村は上演時間と睨み合わせて、セリフをけずり、台本の手直し。気がつけば「ト書き」があまりない分の動きを、役者と話し合って決めていく。
 大劇場の公演に慣れている僕は、バカ声張り上げながら、立ち位置や動きを確認するところからけいこを続ける。台本をはなすまではセリフのニュアンスも大ざっぱで、共演の若者たちから浮き気味。それを修正しながら、失踪している元警官が娘と再会するあれこれに辿りつかなければならない。もし小劇場公演に〝らしさ〟があるとするなら、今回、それを学ばなければ...と、結構いい刺激を受けている。
 《参ったなあ、これは...》
 それやこれやの日々へ、飛び込んで来たのが作詞家もず唱平のイベント案内だ。戦後70年平和祈念と思い定めて彼が構成、演出する「歌と語りによる女の昭和戦記」という公演。それも平成27年度文化庁芸術祭参加と、やたらに力が入っていて、10月16日、西新宿の関交協ハーモニックホールで...とある。手帳のスケジュールを見なくても判るのだが、これがわがナキムシ楽団初日とモロにぶつかっているではないか!
 もずの手紙によれば「世上は安保法案が炎上し胸が塞がる思い」の昨今、彼は騒然の沖縄辺野古へ出かけ、地元大阪・枚方で平和コンサートを起案、大阪国際平和センターでは原爆忘れまじを主題にした催しをやった。ラジオ大阪で持ったのは戦争体験者の思いを伝える「母から母へのメッセージ」というレギュラー番組。戦争の責任論の文脈の延長上に出て来る言葉が「無辜の民」だが、これは母、祖母、伯母、叔母を含めた日本の、彼より年長の女性たちで、その被害者としての思いを語り継ぐ決意が、今回のイベントになったそうな。
 出演するのは弟子の歌手高橋樺子と、親しいつきあいのパーソナリティ小池可奈に女優の高沢ふうこ。「さりながら...」と、もずの手紙は続いて、関西で活動する彼にとっては「東京は他郷」何とぞよしなに...と結んでいる。彼と長い親交のある〝東京モン〟の僕としては、見に行けない無念をかかえたまま、どんな手伝いをしたらいいのか思いをめぐらす日々。そう言えばたしか、彼のペンネーム唱平の由来は「平和を唱える」だった―。
週刊ミュージック・リポート