新歩道橋946回

2016年5月17日更新


 ふと、胸を衝かれた歌がある。降りしきる蝉しぐれの中で、住む人も居なくなった生家を売りに来た男が主人公。カチャリと鍵をあけた彼の胸に、押し寄せて来るのは懐しさとやるせなさだ。
 堀内孝雄の「空蝉の家」だが、彼のじゅんじゅんと語る語り口が、そんな夏のある日の光景を浮かびあがらせる。主人公の年代はおそらく団塊の世代。両親はすでに亡く、長く続いた都会ぐらしで、故郷の家は無人のまま放置してあったのだろう。整理しなければならないことがあれこれあって、生家を売るのもその大きなひとつ。陽に焼けた畳にあぐらをかいて、男は不意に涙ぐむ。
 こういうふうに放置されたままの家は、今や社会問題になっている。少子高齢社会が生む現象だろうが、生活を故郷へ移すUターンはきわめて稀れ。古民家を求めて都会から移住するJターン、Iターンが時おり話題になるが、これもごく少ないケースだからこそ取り上げられるのだろう。そんな時代を背景にした「空蝉の家」は、作詞が田久保真見、作曲と歌が堀内孝雄で、彼の45周年記念曲だ。
 田久保のお手柄は、重要な小道具に蝉を見つけたことだろう。命の限り鳴く蝉は主人公の今、庭にころがる蝉のぬけがらは亡くなった親の世代を象徴する。主人公は蝉しぐれを聞きながら、命の限りに生きた昭和の人々を思い返す。庭にころがるぬけがらを見詰めて「この家は時代のぬけがらか!」と合点する。社会問題をテーマに擬しながら、生硬なメッセージソングに止めず、昭和挽歌の感慨と奥行きを書き込んだあたりが、田久保の才覚と才能の得難さだろうか。
 田久保の顔を思い浮かべながら、彼女の詞で不覚にも涙ぐんだ作品を思い出した。田尾将実が作曲、湯原昌幸が歌った「菜の花」で、こちらには認知症の母をドライブに誘った息子が登場した。二人を取り巻くのは、悲しいほど澄んだ青空と一面の菜の花。そっと子供に戻っていく母と、ずっとおとなになれなかった息子がそこに居る。
 息子を忘れ、自分を忘れても、母は花の名前は覚えていた。その横で息子は少年時代を思い出す。泣き虫の彼は、学校帰りのジャリ道をいつも走った。笑いながら手を振る母が居るのは、菜の花の中だった。花ひとつをキーワードに、そんな親子の情を語った2ハーフ、結びのハーフに田久保は〝詰め〟の1フレーズを用意した。菜の花は実は「おやじの好きな花だった」と―。
 流行歌はいつも「時代を写す鏡」の役割を果たして来た。とは言えあからさまに時代を論じることはなく、それらしいエピソードをさりげなく、婉曲な表現で〝はやり歌らしさ〟を第一とした。田久保のこの2曲は社会問題と正面から向き合いながら、彼女らしい筆致でドラマを作っている。独特の感性と思いがけない言葉選びが魅力の彼女は、近ごろ稀有な社会派の素顔も持っていることになろうか。
 「売れなかった歌に、いい歌なんてありませんよ」
 と、かつて阿久悠が言い放ったことがある。流行歌がパワフルだった時代に、怪物と呼ばれて君臨した彼らしい自負にも聞こえた。昨今の流行歌はあのころの伝播力を失い、関係者がCDの売り上げ低迷を長いこと嘆き続けている。残念ながら湯原昌幸は「菜の花」の次や、その次の企画に歌い移った。堀内の「空蝉の家」も、そうそう楽観は許されまい。しかしだからこそ―、
 いいものはいいのだ! と、言い募り、書き募っていきたいと、僕は思う。個人的な感傷だが、不覚にも涙ぐみ、ふと胸を衝かれた瞬間を〝流行歌評判屋〟としては大切にしたい。実は寝たきりで子供化の果てに、忘我の境で暮らした実母を、自宅で7年間介護した体験がある。つれ合いは岐阜に、心ならずも生家を放置したままでしばしば悩んでいる。
 「だから、こういう歌が沁みるんでしょう。それにあんたは新聞屋あがりで、この種のものに飛びつく性癖が強いし...」
 そんな声が歌社会から聞こえそうな気がするが、似た体験を持つ人は、大勢居るのが現代なのだ。この2曲が歌好きの耳に届き、共感の輪が少しでも広がっていくことを、僕は祈るような気持ちでいる。
週刊ミュージック・リポート