新歩道橋949回

2016年6月11日更新


 昼過ぎに連日、谷端川南緑道というのを歩いている。地下鉄有楽町線の要町からのんびり10分ほど。川だったところに作った遊歩道だから、適度に曲がりくねっていて、両側の植えこみの緑が目を楽しませる。躑躅が終わって紫陽花がぼちぼち〝わが世の夏〟待ち。うす紅は昼顔、黄色は美女柳の花で、どちらも小さめ。ひゅっとまっすぐに、背の高いのが赤い花をまとっているのは、立ち葵だとか。
 行く先は11年前に廃校になったという大明小学校。その教室の一つが、東宝現代劇75人の会7月公演のけいこ場になっている。二階建ての大きな学校で、立派な運動場もある。幾つもの教室や工作室、屋内体育館などで各種けいこ事が日々賑やかだ。ご他聞にもれず少子化のあおりを受けたのだろうが。それにしても、ここで歓声をあげていた子供たちは、一体どこへ行ってしまったのか? 正門手前の細い道には「車両通行禁止、スクールゾーン」という標識が錆びついて放置されたままだ。
 僕が所属する東宝現代劇75人の会は、5月25日からここでけいこをしている。横澤祐一作、丸山博一演出の「坂のない町~深川釣船橋スケッチ」で、公演は7月6日から10日まで、5日間7回を深川江戸資料館小劇場でやる。
 「ひと月以上もかけるの? ずいぶん長いけいこだねえ...」
 その間お留守にする歌社会の友人が、電話で呆れる。
 「そのくらい本格的なんだぞ!」
 と僕はうそぶくが、5月いっぱいは台本と首っぴきの読み合わせが続き、演出家が、
 「6月2週くらいから、立ちげいこにしようか」
 とニコニコするペース。キャリア40~50年はざら...というベテラン揃いの自主公演だから、けいこそのものを楽しんでいる気配が濃い。
 だからこそこの劇団が、キャリアやっと10年めの老優の僕には、得難い芝居の道場になっている。「浅草瓢箪池」(東京芸術劇場小ホール2公演)に出してもらったのが2009年7月。以来7年、見よう見真似、教わるよりは盗め...の修行が続く。他の先輩役者へのダメ出しを片っ端から台本に書き込み、われとわが役へああかな、こうかなと置き替え、誰彼なしにさりげない質問は、新聞記者育ちの特技!? けいこ後の居酒屋放談にはきっちりつき合って、耳をダンボにする。先輩諸氏の懐旧談に芝居のヒントを捜すうちに、劇団の歴史を知るし、スター俳優のロマンスなどまで聞きかじる。台本のセリフやト書きにはない登場人物たちの心の動きは、行間にひそむものと眼からウロコ...の体験もたびたびだ。
 「踵で芝居をしないとね」
 酔余ボソリと、横澤から哲学的!? な教えを受けた夜もある。10年前の川中美幸公演の初舞台でお世話になったのが、この人との縁。75人の会のボス格の一人で「おいでよ」と声をかけてくれたのもこの人で、僕の出る芝居をみんな見てくれての苦言、助言も数々。だから僕にとってはこの人が、この道の師匠だ。俳優兼作家兼演出家の横澤の〝深川シリーズ〟は今作が四本め。ひでりの夏もコツコツと深川界わいを歩き回り、徹底取材のあげくの労作である。越中島のスポニチ勤務が長かった僕など、足許にも及ばぬ深川通。もっとも門仲のネオン街事情だけは、僕の方が少々詳しいかも知れないが...。
 この会の公演は例年秋で、谷端川南緑道を行き来したのはほとんどが9月だった。そのころまっ赤に咲いていた百日紅は今、緑の葉をつけたままだし、たわわに実った無花果の実はまだ小さい。その代わりみたいに、小さな美容院わきの枇杷が色づいている。遊歩道の両側に隣接している家々には、名前を調べきれない草花が色とりどりだ。そんな昼さがりと夜とを池袋界わいで過ごして、僕は葉山の自宅へ戻る。横須賀線を逗子駅で降りるとかすかに潮の匂いが来る。深夜、バスがなくなってのタクシーは、葉山・芝崎の岬の突端のわが家へ、濃いめ磯の香の中を割って到着する。ドア・トゥ・ドアの移動が往復で約2時間ずつ。
 「よく通うねえ」
 とみんなに言われるが、なに列車中の1時間半は、芝居の自主練で寝る暇などない。
週刊ミュージック・リポート