新歩道橋960回

2016年10月9日更新


 歌手山内惠介が、東海道新幹線の小田原駅を降りたのは午後3時1分。そこから南足柄市文化会館ホールへ車で駆けつけた。東京での仕事のメークはそのまま、衣装はさすがに着替えている。拍手と歓声に迎えられてステージに現れたのが午後4時。「スポットライト」「恋する街角」「流転の波止場」の3曲を歌って、楽屋でホッと一息。夜にいったん東京へ戻り、翌日は早朝の新幹線で大阪へ移動と、この人、やたらに忙しい。
 それにしても、あちこちに金太郎がいる箱根のふもと町へ何でまた? と思われるだろう。
 「惠介、すまん、すまん、ありがとうな!」
 と出迎えたのが、日高正人と言っても、まだピンと来ないかも知れない。実はこの無名の大歌手!?が、この日開いていたのが40回を迎えた「いもづるの会」で、彼の出身地屋久島の隣り、口永良部島の噴火災害のチャリティがサブタイトル。この会は日高がもう20年も主宰、若い無名の歌手たちの知名度を、文字通りいもづる式に引き上げようとするイベントで、山内も「つばめ返し」で悪戦苦闘していた時期に、声をかけられていた。
 もう一つの縁の主がいて、山内が所属する三井エージェンシーの社長三井健生。早くから会場入りし、小田原―南足柄の車の経路にやきもきしていた。三井はキャニオンの宣伝マン時代に山本譲二の「みちのくひとり旅」をヒットさせた実績を持ち、独立して以後は「涙そうそう」の夏川りみ、今度の山内と、二つもブレークを実現させたやり手だ。それがキャニオン時代に、日高の友人南こうせつから、
 「会社に頼むんじゃない。あんた個人に力を貸してもらいたいんだ」
 と、日高の移籍話をねんごろに頼まれ、めいっぱい奔走した内輪話があった。
 山内は昨年大晦日に念願の「紅白歌合戦」に初出場。その余波か、
 「どんどん大きな仕事が入って来て、山内の年内のスケジュールはもうびっしり...」
 と、今年に入って三井はえびす顔だった。
 「ひところは、馬車馬みたいに働きたいと、社長に訴えていたけど、最近は本当に馬車馬みたいになって...」
 と、山内も嬉しそうに話す。今回の仕事は、さほど大きめのものとも思えないが、昭和から平成へ、長く続く男たちの友情の発露となれば、これも日高の人徳と言っていいか?
 地元の人に言わせれば、南足柄は農業が中心、ごく平穏ないなか町で何ごとも地味、人見知りの土地柄とか。8月27日、そんな町のホールが「開場以来の大入り」になったのは、当地へ移住して8年になる日高の言動が刺激になったことと、40回を記念して山内をはじめ西崎緑、チェウニ、岩本公水、野村未奈に司会で人気の夏木ゆたかが歌手として参加したことが原因か。
 肝心のいもづるさんたちは、しぶとく全回出演の髙城靖雄を筆頭に葵将貴、謝鳴、木花天乃、さの美佳、The龍雲に、後輩でスポニチ勤務と二足のわらじの仲町浩二ら。力のある中堅どころにはさまって持ち歌を披露、みんな嬉しそうだった。常連の葵は今回、どうやら地元の強みで、掛け声も盛ん。新曲「偽りの女」が田久保真見の詞、大谷明裕の曲と聞いて僕は「ほほう!」だ。
 日高の新曲は「木守り望郷歌」で作詞が喜多條忠、作曲が小田純平。古い柿の木の最後の実一つは、鳥たちのために残す木守りの思いやりという、ひなびた5行詞に、民謡風味少々のメロディーがついている。昔、武道館を満杯にした伝説を持つ日高は、大音声の張り歌が得意だったが、加齢の衰えを見せ、親しいつき合いの僕は一時「歌手引退!」の勧告をしたこともある。それが70才を過ぎ、苦肉の語り歌に転じたら、このところ妙にしみじみ、味な歌が魅力的になっている。
 「ま、シンプル・イズ・ベストと言うことか」
 と交友40余年の僕は負け惜しみも兼ねて、初めて彼の歌をほめることになった。
 「そうですかねえ...」
 日高の人柄にぞっこんと言う小田純平は、この日弾き語りで「還暦ブルース」を歌った。ドスの利いた声とパワフルな歌唱で聞き手を圧倒。僕は大きな拾いものをした気分になった。
週刊ミュージック・リポート