新歩道橋963回

2016年10月30日更新


 「冬美、来たぞ、やっと来たぞ!」
 おつきの女性がさえぎるのも構わず声をかける。10月20日午後の明治座の楽屋。のぞき込むのれんの向こう側、化粧台に向かう坂本冬美が振り向いて満面の笑顔になった。芝居とショーの合い間の休憩時間、ほど良いころあいに声をかけたのだが、彼女は「新版女の花道」の主人公加賀屋歌右衛門から歌手冬美に入れ替わる最中。歌手の大劇場公演はたいていそうだが、30分の休憩がけっこう心身ともに忙しい。
 「女の花道」は小国英雄の原案、もともと「男の花道」として長谷川一夫や大川橋蔵が演じて来たものを、主人公を女性に変えて、冬美は18年前に舞台に載せたが、そこからも演出(市川正)が変わり、当然のことながら共演者も変わって〝新版〟ということらしい。
 幕があがると大阪・道頓堀の中座あたり、いきなり冬美が弁天小僧のおなじみの姿でおなじみのセリフである。劇中劇なのだが、これがファン相手の、なかなかの〝ツカミ〟になる。彼女扮する座長歌右衛門が、実は眼を患っていて物が見えないはず...と見破る医師土生玄碩(勝野洋)との出会いが第一幕。その眼を治した玄碩が、若年寄水野出羽守(青山良彦)の無理難題に抵抗、あわや切腹! という危機に歌右衛門が駆けつけ、事なきを得るのが第二幕だ。
 冬美の歌右衛門が江戸へ出て、人気を博しているのが今の人形町あたりの猿若座。ここでまた劇中劇。八百屋お七に扮して火の見やぐらの前で舞う。そこへ恩人の医師の切羽詰まった手紙が届き、舞台を中断する詫びを訴えるのだが、舞台が猿若座と明治座にすっぽり重なる趣向。その後、駆けつけた柳橋の料亭で、めでたく一件落着を舞うのが三つめの見せ場だ。冬美が日舞をやるとは知らなかったが、劇中劇二カ所と大詰めで、《ほほう!》のあで姿とはねえ。
 公演の後半、やたら貸切りが多いのに無理を言って観せてもらったのがこの日の舞台。彼女の歌手生活30周年記念だが、実は9月15日、NHKホールでやった記念リサイタルは見ずじまいだった。
 「何だ、見てくれないの!」
 と口をとがらせた彼女に「ご免! ハワイだ」と謝った一件がある。それにしても...と気を変えて、あの木何の木...とテレビCFでおなじみのモンキーポットやプルメリアの花、カハラの居心地、ワイアラエの1プレイを後に、急拠デルタ航空に乗ろうとした。成田着午後2時過ぎ、それならNHKホールへ何とか行ける計算だったが、機体整備不十分とかで、ホノルル発が2時間ほど遅れて万事休した。そんなバタバタを、彼女は知らない。
 第二部の歌謡ショーは、和太鼓連中の乱れ打ちから「あばれ太鼓」「祝い酒」「火の国の女」と、師匠の猪俣公章作品で始まる。「おやっ?」と思ったのは、歌声の中、低音に響きと滋味の厚さが加わっていること。近ごろ年に1枚アルバム「ラブ・ソングス」を歌っていて身につけた息づかいの変化か。その延長みたいに、アレンジをポップス系に変えた「石狩挽歌」や「大阪しぐれ」も、歌のスタイルは演歌だが、フィーリングはポップスっぽい〝冬美流〟が生まれている。「愛燦燦」など、美空ひばりは優しさと抱擁力がしっとりと聞く側を捉えたが、冬美流だと透き通るような哀感が頭上を越えてコダマになる気配。これが「また君に恋してる」以降の彼女なら、当然「夜桜お七」も出て来る。彼女の歌手7年めにプロデュースした作品だが、手前ミソながらその後23年、少しも古くなっていないのがなかなか...といい気分。気安いつきあいも、あのころから続いているのだ。
 当方が忙しくなったのは楽屋のあいさつ回り。ベテランの青山良彦には、役者としてあれこれ教えを乞うているし、江口直彌とは以前同じ楽屋暮らしが1カ月、かつらの下地にする〝ボウシ〟を手づくりで2枚も貰った。小林功・高井清史は同じ楽屋に居て「おう、おう」「おっ、頭領、来てたの!」と、あちらの声が揃ったのは小西剛、荒川秀史、橋本隆志、白国与和、大迫英喜なんて剣友会の面々、あいさつし損なったのは薗田正美、上田祐華ほか...で、冬美に会いに行ったのに知り合いがやたら大勢だ。この道そこそこ10年の僕の、そんな姿を見たら冬美もきっと呆れたろう。
週刊ミュージック・リポート