新歩道橋967回

2016年12月4日更新


〽兄弟船は真冬の海へ、雪の簾をくぐって進む...と来た。
 《雪の簾か、星野哲郎ならではのフレーズだな》
 僕は今さらながら〝海の詩人〟の言葉選びの凄さを再確認する。11月24日、葉山一色は雪。この時期の初雪は、昭和37年以来54年ぶりだと言う。僕が星野と初めて会ったのは38年だから、その1年後の勘定。それから平成22年11月に彼が亡くなるまで37年間も、僕は事あるごとに「良太郎!」と呼ばれる知遇を得た。
 《やっぱり、昭和を代表する詩人の一人だった》
 すとんと腑に落ちたのは祥月命日の1日前、11月14日にホテル京王プラザでやった星野の紙舟忌・7回忌の会。発起人の末尾に名を入れて貰った僕は、長男有近真澄夫妻、長女桜子さんと、参会者のテーブルを全部回った。施主のあいさつのお供である。ありがたいことに親交は、詩人との父子二代にまたがっている。
 「面白かったな、この間のビデオ撮りは...」
 「ああ、あんなの滅多にねえしな」
 作曲家弦哲也、岡千秋、杉本眞人とはその席で、僕らにしか判らない冗談を言い合う。BSフジで12月10日夜に放送する「名歌復活!」という番組に出て、僕らは相当にレアな会話をした。何しろ本番も「弦ちゃん!」「岡ちん!」「杉本!」...と、いつも通りの呼び方で、彼らも僕を「統領!」なんて呼び、まるで酒場ムード。彼らはそれぞれの代表作を、弾き語りで歌って盛り上がった。
 2時間番組の冒頭は岡千秋の「長良川艶歌」。ふだんは軽口を叩く岡が、根にある真面目さをもろに出して、ここを先途...で歌ったから、残る2人の歌もそれなりの気合いが入る。弦が「天城越え」を、得意のギターの技あれこれを駆使して熱唱すれば、杉本は一見無造作な歌唱の「吾亦紅」を、尻上がりの情感で語り尽くす。バーラウンジふうセットで、司会役の松本明子と僕は、やんや! やんや! の騒ぎになった。3人の歌から垣間見えたのは、歌い手同士の負けん気と、適度のあそび心、それに作品と向き合う歌書きの性根...。
 BSテレビは昭和の歌ばやりである。自分でも信じられないほど長生き中の僕は、あちこちの番組からコメントを求められている。
 「でもさ、みんな昔のビデオ流したり、後輩歌手がカラオケで歌ったりするばかり。もっと生々しい形でやりたいと思ってるんだけど...」
 と、この話を持ち込んで来たのは、弟分の築波修二。昔あった情報誌ミュージックラボを手始めに第一プロ、巨泉事務所などで働き、昨今はテレビ番組のプランナーをやっている。実はこのコラム「新歩道橋」はミュージックラボで「歩道橋」としてスタートしていて、大学卒業したての築波は当時から「影響を受けた」と真顔でお世辞を言う。「あいつらもそうだ」と彼が名を挙げたのは、佐藤剛と工藤陽一。佐藤は音楽プロデュースやイベントづくりに手腕を示し、昭和の歌社会を追跡取材、著書も持つ。工藤はラボの編集長から音楽出版社協会に転じ、役員を務めて今は顧問か。
 「しょうがねえなあ...」
 と、お世辞を真に受けた僕は、この3人と「歩道橋」同窓会をやり、大いに飲んで「名歌復活!」の前夜祭とした。
 収録中、いい曲が書ける都度、五線紙の向う側に歌の主人公の幻を見るという岡を、
 「岡ちん、お前、病院へ行った方がいいよ」
 とまぜ返し「天城越え」を作るために、作詞の吉岡治、中村一好プロデューサーと湯ケ島の白壁荘で合宿した弦とは、
 「弦ちゃん、宿泊費は一体誰が払ったのよ...」
 「さあね、よく判らないままなんだ」
 なんて問答をし、「新宿情話」を歌った杉本が、
 「どこか間違ってない?」
 と聞くから「大体、合ってるよ」と答えるなど終始スタジオは大笑い。
 杉本がこの曲を歌い、岡が「おんなの宿」弦が「東京は船着場」を歌ったのは、文化勲章を受章した大先輩船村徹へのリスペクト選曲だった。
 さて、訂正とお詫びである。前回のこの欄「新歩道橋」966回の上から3段め、右から3行目に〝プロデューサーと作家を兼ねる「田村進二」〟とあるのは「田村武也」の誤り。田村進二は、弦哲也が歌手デビューしたころの芸名で、それと息子の名を混同した致命傷だ。ゲラ刷りまで見ていたのに、加齢による大ポカと、低頭しきりである。
週刊ミュージック・リポート