新歩道橋968回

2016年12月11日更新


 11月19日は、山形の天童で酔っていた。翌20日の佐藤千夜子杯カラオケ全国大会の前乗りで、晩めしのあとに出かけたのがいつものスナック。大会の実行委員長で地元の有力者・矢吹海慶和尚が一緒だ。5才年上のこの人は「酒と女は2ゴウまで」とか「仏はほっとけ」などの迷言!? を口走る粋人で、舌がんのリハビリのためにカラオケを始めた剛の者。今年の和尚のマイ・ブームは
 〽山ァよ~山ァよ~、お岩木山よ...だ。
 大会ゲストの北原ミレイも同行した。こういう夜はいつも失礼するんですが、今回は小西さんが一緒なので...と、綱木マネジャーが耳許で囁くのへ「当然!」と言い返す。彼女のデビュー曲「ざんげの値打ちもない」を大仰にヨイショした昔から、46年のつき合いがある、スナックに居合わせた歌好き熟女が、彼女の「港のリリー」を歌う。まだ自信がなくて...と口ごもるから、ミレイは笑顔で歌唱レッスンを始めた―。
 前置きが長くなったが、ここからが本題。「港のリリー」は、作詞家下地亜記子の作品で、実はこの人、その2日前の11月17日、72才で亡くなっていた。新聞にも死亡記事が出ていたが、一行のノリがノリだから、僕らはそれに触れずにいた。バカ騒ぎをしながら知らん顔というのは、感慨が複雑になる。下地のこの詞に血を通わせ肉としたミレイの胸中は、いかばかりだったろう?
 下地は地味だがコツコツと、中堅歌手たちにいい詞をコンスタントに提供した作詞家である。このところ多かったのは真木柚布子の歌で、「さくら月夜」「雨の思案橋」「北の浜唄」「越佐海峡~恋情話」「夜叉」「しぐれ坂」に鏡五郎とのデュエット「夫婦善哉」など。タイトルからも判ろうが、傷心の女心ソングから名作もの、ご当地ソングと、作品の幅が広い。
 〽四角い膳の焼き魚、小さな切り身をとり分けて...は、北島三郎用の〝しあわせ演歌〟?外は粉雪、心は吹雪...は松原のぶえの「雪挽歌」と、筆致もいろいろで、花言葉をいくつも上手に料理したのは真木ことみの「ふるさと忍冬」だ。事前の下調べが綿密で、カッチリした骨格の作品には、推敲の跡がありあり。男と女のドラマを見守る作者の視線が優しく、小道具を並べた詞には、演出家の心くばりがうかがえた。
 帰宅して何日めか、下地の長男下地龍魔氏から、ていねいなお知らせの手紙が届く。「かねて病気療養中のところ」の文面に胸を衝かれる。彼女の作品はずっと聞いて来たが、近況までは知らずに居た。「亡くなる直前まで仕事をしていた」そうで「山あり谷ありの人生を、精一杯に生き抜いた生涯」を「息子として母を誇りに思っています」ともあった。率直な文面がジンと来るのは決して、僕が人後に落ちぬマザコンのせいばかりではない。
 机のそばにいつも置いておく本がある。日本音楽著作家連合が3年前に創立40周年を記念して作った「随筆集・百華百文」で、ハードカバー、311ページ。藤田まさとを筆頭に、ゆうに100人を越す作詞、作曲家たちが、自作のヒット曲にまつわるあれこれを書いている。昭和から平成にかけての、歌書きたちの情熱が生々しい貴重な資料で、編纂委員長が下地亜記子だった。彼女があとがきに書いているが「豪快、痛快、爽快、そして繊細」な作家たちの青春譜とも言えようか。
 この仕事にも下地の、几帳面で粛々と、律儀に事にあたる姿が如実である。女手ひとつで子育てをし、詩作に熱中する年月が長かったこの人は、彼女流の力量と感性の歌づくりで、歌謡界の軸の部分を支えて来たのだと、改めて合点がいった。大きなヒット曲を連発する売れっ子が、とかく脚光を浴びがちなこの世界だが、こういう熟練の仕事師こそ貴重な存在なのだ。
 《パーティーなどで出会うたびに、いつまでも元気でいて下さいねと言われたな》
 彼女が病んでいることに気づかなかった迂闊さを悔いながら、僕は最近届いたばかりの彼女の新曲を聞く。真木柚布子の「夜明けのチャチャチャ」という曲だが、
 〽ねえ、今夜は朝まで、あなた、踊り明かしましょうね...
 と明るく弾む歌を、この人はどんな気持ちで書き遺して行ったのだろう?
週刊ミュージック・リポート