新歩道橋971回

2017年1月29日更新


 お祝いの会と言っても、今回はものが文化勲章で、受章者が師匠の船村徹である。打ち合わせは最初から緊張したし思い惑いもした。相棒は例によってミュージック・リポートの隣りのページでコラム連載中の境弘邦。いつのころからか「表の小西、裏の境」などと戯れ言を言いながら、長く歌社会の冠婚葬祭の手伝いをして来た。
 「それにしても境ちゃん、どういう内容にするかねえ」
 「そうだよな、粛々と行かなきゃならんだろうな」
 80男が2人、つら突き合わせて唸った。
 1月18日夜、グランドプリンスホテル新高輪の飛天の本番。笛、小鼓、締太鼓の演奏で日舞「寿」で幕をあけ、引き続き野村太一郎の「狂言」が素踊り、音吐朗々で和の祝賀ムードを強調する。いつもの音楽業界のお祭りとはまるで違う演出が、500人の参加者を圧した。別の席に陣取る境が、ニンマリとしているなと思いながら、僕は時計と睨みっこになる。引き続き船村の生い立ちやひととなり、業績などを映像展開、ナレーションでつづって10数分。発起人紹介、4人の祝辞、本人謝辞、乾杯...でセレモニー部分が終わる。ここまでがほぼ45分で、あとは和気あいあい。
 境が構成、演出を含めて、NHKエンタープライズのチームを督促した長い積み重ねの成果である。僕はといえば、日時場所、発起人選び、参加者名簿のチェック、当日の席決めなどを手伝っただけで、あとは境に丸投げ。時おり
 「至急、電話をちょうだい」
 という彼の留守電を、帰宅した深夜に聞いて対応する。ケイタイも持ってねえんだもの、急ぎの連絡に困るよ...と、彼の小言を何度聞いたことか。
 当の船村は今回ばかりは俎の鯉。ここで「男の友情」を歌って下さい。斎藤功のギターと鳥羽一郎が手伝います。菅官房長官が来てくれるから、祝辞を受けて下さいなどと、ステージへの上り下りを注文しても「ふむ、ふむ」と素直だ。喜びは素振りに見せないが、大衆音楽界初の受章だから、応分の感慨は抱えているはず。体調いまひとつなことを佳子夫人が気づかい、二女の渚子さんが、父の動きをサポートする。長男の蔦将包は編曲と仲間たちバンドの指揮で大忙し。彼の夫人さゆりさんが控え室内外で甲斐々々しく、長女の三月子さん(作詞家真名杏樹)も笑顔で、船村一家総出だ。
 忙しかったのは鳥羽一郎で、船村同門会の会長として、乾杯の音頭、船村の歌の介添えから関係者への気くばり、おしまいの三本締めや客の送り出しまで、出たり入ったりひっきりなし。それを見習う形なのが静太郎、天草二郎、走裕介、村木弾で、鳥羽を頭にする内弟子5人会のメンバーだが、師匠の慶事にみんなわがことのように浮き浮きしている。僕の出番は、「みだれ髪」レコーディング風景の映像のあとに、現場に立ち会った報告のひとくさり。作詞星野哲郎、作曲船村徹、歌美空ひばりと、第一人者3人が、プライドを賭け、情熱を傾けたのだから、傑作が生まれない訳はなかった。
 ちょこっと〝表の小西〟を終えたあとは、同席した細川たかし持ち込みの「響・30年もの」のハイボールで勝手な祝杯をあげる。ジョーク山盛りで賑やかな細川が「炭酸が体にいいんだ」と小声で言うあたりに、彼の年月を振り返ったりする。さてお開き、いつもはさっさと中座する船村が、この夜ばかりは来客の見送りも最後まで。あとは恒例の二次会を身内だけで...と本館のバーへ移るが、相当な人数にかこまれて終始にこやか。宴席では食事どころではなかったせいか、よく食べるのを見守って、内弟子たちと僕は「あんなに次々と...」「元気ですねえ」と囁き合ったものだ。
 翌19日夕は、日本音楽事業者協会の新春パーティーが芝のホテルで。前夜祝辞を頼んだ作曲家協会の叶弦大会長をはじめ、大勢の知人から、
 「心に残るいい会でしたね」
 と声をかけられた。ほっと一息の安堵を分かち合おうと相棒の境を探したが見当たらない。もしかすると前夜の後始末か、次なる行事に「裏の境」として取り組んでいるのか。いい加減な僕とは違って、彼はトコトン根を詰めるタチだしねえ...。
週刊ミュージック・リポート