新歩道橋973回

2017年2月19日更新


 バスが第一京浜を走る。僕はちょいとした冒険気分だ。ン? 金杉橋か、この左奥には昔、スポーツニッポン新聞社があった。僕が19才から53才までの、いわば青春を捧げたところだ。高速へ上がるはずだが、何? 入り口は芝公園ではないのか! バスは僕の予想を裏切って、平和島を左折、大森料金所から入った。ウン、この先はわかる。ゴルフ場への行き来で、よく眼にする風景だ。やがて川崎、そして横浜―。
 JR新橋駅前を、午前零時40分に出発したバスは深夜急行。品川駅前で何人か拾ったが、乗客は若い男女がまばら。残業で疲れたサラリーマンふうや、ネオン街で働く女性ふうなどで、粛然と話し声もない。眠りはじめたのか、物思いにふけっているのか、いずれにしろ全員が長旅の構えだ。日付はもう2月7日に変わっていて、僕は仕方なしに次の芝居のセリフを呟きはじめる。大衆演劇のプリンス、門戸竜二奮闘公演の痛快時代劇「一心太助」(脚本・演出小島和馬)だが、12日の千葉・神崎ふれあいプラザが初日で、14日が日本橋劇場。もう残された時間はわずかだ。
 その夜は、成田の居酒屋で飲み過ぎた。あの、新勝寺があり、国際空港を控えた成田だ。そこから車で20分ほどに、門戸のけいこ場があり、僕は連日、葉山から通っていた。JR逗子で乗る横須賀線と総武快速が相互乗り入れしていて、ドア・トゥ・ドアが約3時間。そりゃ大変だ! と人は言うが、車中も僕のけいこ場。セリフはそこで頭に入れるから、さして苦にはならない。ところがヤバイ! とその夜は飛び乗った帰りの列車が、人身事故のあおりで止まったり、のろのろ運転になったり。東京駅へ着いたのが午前零時過ぎで、横須賀線も東海道線ももう終わっていた。タクシーで帰ると3万円かかるぞ! そうだ、新橋からの深夜バスがあると誰かに聞いたことがある!
 そのバスは大船で高速を降りた。そこから終点の逗子まで、止まる停留所が8つもある。アナウンスがやけに明るめに次の場所を告げるが、聞き覚えがあるのは途中の鎌倉駅だけ。寝静まった町並みが一つ消えてはまた一つ...という具合いで、灯りがともっているのはコンビニと丼飯チェーン店くらい。たまに看板の灯を消し忘れた居酒屋や、さびれた洋装店のショーウインドーがあるほかは、闇に眼を凝らしても、地名を示す看板は見当たらない。酔いはもう総武快速あたりで醒めた。バスに乗った当初の冒険気分も、いつの間にかしぼんだ。
 話は芝居に戻るが、座長の門戸が一心太助をやるなら、僕の役は当然みたいに大久保彦左衛門である。門戸一座には去年2月に「めし炊き物語・泥棒と若殿」に出して貰って、めし炊きおやじと若殿の藩の重役の2役をやった。今回も同じ演出家の小島が、悪乗り気味に山ほどのセリフを書いていて、太助と彦左の漫才みたいなやりとりまである。列車内を書斎がわりにせっせとセリフを繰り返したが、場所が場所だけに声は出せない。それでもそこそこ覚えたつもりでけいこ場で大声を出すと、とたんに頭の中がまっ白になる。記憶装置と発声部位が分断状態なのか?
 そこへ行くと門戸座長は、さすがに世慣れている。1月は前川清の中日劇場公演に出ていて、台本と首っぴきの時間などなかったはずなのに、もう立て板に水である。
 「大衆演劇の先輩たちの凄いところですよね」
 と、何くれとなく面倒を見てくれる若手の田代大悟が囁くが、これは僕を慰めているのか、お尻を叩いているのか...。ご一緒する役者衆は、ベテランの西田良をはじめ芸達者の中條響子、根本亜季絵、中川歩、貴田拳、朝日奈ゆう子、子役3人で、名にしおう劇団若獅子が制作協力というかっこう。ここの座長笠原章は、川中美幸公演でお世話になったほか、彼が作演出した「歌麿」(一昨年、キンケロ劇場)で蔦屋重三郎という滅法いい役を貰ったことがある。今回の公演も見届けに来るという噂がもっぱらだ。
週刊ミュージック・リポート