新歩道橋987回

2017年7月9日更新


 おなじみ路地裏ナキムシ楽団のけいこに入っている。今回が連続3回目の参加、演目は「あの夏のうた」で7月21日から23日まで、金、土、日曜の3日間、中目黒キンケロ・シアターで4回公演なのだが、あっという間にチケットが完売、急遽、23日午前11時開演の追加公演が決まった。6月27日の夜、けいこ終わりに全員集合で
 「追加公演、決まりました。ありがとうございま~す」
 「わ~い、バンザ~イ!」
 なんて動画を撮影、直後の居酒屋反省会!? が始まるころには、全世界へネット配信終了...である。ケイタイも持たぬ「無ケイ文化財」の僕は、目を白黒するばかりだ。
 ナキムシ楽団は主宰する田村武也が作、演出、オリジナル楽曲づくりほか、何から何までで奮闘、音楽と演劇を混在させるライブパフォーマンス集団で、標榜するのは「青春ドラマチックフォーク」毎回昭和テイストの人情劇でファンを感動させ、ことに泣かせる劇的昂揚を狙っている。2010年に結成、ライブハウスから劇場へ、着実な歩みを続けているが、今回が8回めの公演を「第8泣き」と表記するあたりがその精神の発露だ。
 今回の「あの夏のうた」は、太平洋戦争末期の混乱の中で芽生えた、若者たちの友情や恋の顛末を、終戦から今日までの激動を背景に描く。そうなれば当然、若者たちの〝生〟や〝死〟と〝その後〟を証言する老人が必要になる訳で、僕はその「古物商むかし屋主人」を演じる光栄に浴することになる。自然、出番は多くなり、説明セリフも山盛り。オムニバス形式の各景を演じる小島督弘、千年弘高、小森薫、上村剛史、原田里佳子、橋本幸坪、藍沢彩羽、小沢あきこ、押田健史、中島貴月ら若い(僕よりははるかに)情熱家たちに、介護されながらの日々になる。小西会をはじめ、観に来てくれるお仲間たちからはまた「演技力よりは記憶力」を評価されることになりそうだ。
 特筆すべき共演者の熟女が一人居て、座☆ⅡEというグループ所属の掘裕子。この人が何と元スポーツニッポン新聞社の同僚なのだ。若いころから妹分ふうによく飲み歩いたのが、いつのころからか明治座の養成所で勉強していて、定年退職後に女優として第二の人生を歩きはじめた。僕も老後を役者稼業で精進しているから、いわば同志だが今回が初共演。
 「ウソ! マジ?」
 と、スポニチ同人たちには、驚きと好奇の眼で迎えられるオマケになった。
 それやこれやのけいこの最中、僕は友人の通夜・葬儀を手伝い、別の友人の納骨法要や偲ぶ会を計画、BS各局の〝昭和回顧歌番組〟にちょこちょこ呼ばれ、合い間に雑文を書きまくる日々。6月28日には三越劇場の「美川憲一、生命を読む! 語る! そして歌う...楢山節考」へ出かけた。こちらも好評につき追加公演。実は3月の本公演のプログラムに原稿を寄せながら、新歌舞伎座川中美幸公演に参加したため、見に行けなかった。その不義理の穴うめ観劇だ。
 「楢山節考」は深沢七郎の代表作で姥捨山の棄老伝説がテーマ。美川はその朗読を5年も続けていたそうだが、これがなかなかの仕上がり。棄てられる老婆おりんの潔よさと、息子辰平の心の葛藤を割舌きっぱり、昂揚場面では声をあらげ、内省シーンでは抑えた声をしならせて、実に表現がドラマチックだ。すっきりした着物姿の一人舞台はテレビで見るおねえ言葉の毒舌コメントぶりとは、まるで別人の説得力。大勢の後続〝チャラい女装芸能人まがい〟とは、一線を画したキャリアと芸と言うべきか。
 JR横須賀線の帰路、ふと気になるのはナキムシ楽団の劇中歌のこと。リーダーの田村とシンガーソングライターの暮部拓哉やハマモトヒロユキが腕によりをかけて制作中のはずだが、今回はどんな哀愁を一緒の舞台で聞かせてくれるのか? 葉山の自宅へ戻ったのは深夜。眼下の海の向こう側、富士山のあたりに、まるで見本みたいな三日月がかかっている。それと向き合って
 「混乱の時代だった。守るべきものがある。愛する人が居る。それだけで、死にに行くには十分な理由だった...」
 7月公演「あの夏のうた」の元兵士の述懐である。そんなセリフを復習しながら、僕は今いったい、どんな時代の中に居るのかが、だんだん定かではなくなっていった。
週刊ミュージック・リポート