新歩道橋989回

2017年7月30日更新


 鳥羽一郎は幸せな男だった。歌手としての生みの親が作曲家船村徹で、育ての親が作詞家の星野哲郎と大物揃い、それに実の親木村伝蔵さんを加えて「父3人」である。〝だった〟と書くのは船村が2月に逝き、星野は今年没後7年のせい。伝蔵さんだけは92才で故郷・三重県鳥羽に健在だ。
 鳥羽はステージで、その伝蔵さんをネタにする。
 「おふくろは海女、6年前に亡くなったが、おやじと一緒にずっと海にもぐって魚貝類を獲った。男の場合は海士と言うのよ」
 「おやじは少し怪しくなったけど、元気だ。毎晩必ず日本酒を2合。虫歯なんて一本もない...」
 鳥羽のトークは途切れ途切れ。随所にある長めの間(ま)で「ン?」になる観客は、ついつい引き込まれていく。そこへ、
 「総入れ歯だもの...」
 ドッと来る客をニコニコ見回したあと、彼はダメ押しをする。
 「豆腐食ってるのに、カチカチカチカチ、うるさいのよ...」
 いわば訥弁の能弁、もともとの口下手が今や独特の話芸に進化した笑わせ上手だ。客と一緒に僕も大笑いしたのは7月16日午後、山口・周防大島の橘総合センターで開かれた「えん歌蚤の市・星野哲郎メモリアル篇」この島は星野の故郷で、彼の記念館の開館10周年を記念したショーが開かれた。共演したのは山内惠介、川野夏美と司会の植松おさみ。僕は過去8回もこの島でやった「蚤の市」の言い出しっぺの一人で、はばかりながら記念館はプロデュースの重責を背負ったから、当然、大きな顔で出かけてトークにも出演する。星野の長男有近真澄夫妻と長女桜子夫妻が一緒だ。
 実は路地裏ナキムシ楽団公演のけいこを中抜けしての大島行きである。今回の「あの夏のうた」は、7月21、22、23日の3日間、中目黒キンケロシアターで5回の舞台。このコラムが読者諸兄姉の目に触れるころは終わっているが、追加公演までやる盛況だった。
 主宰者で、プロデュース、作、演出の田村武也が率いるナキムシ楽団の演奏と歌に、僕ら役者勢が頑張る芝居のコラボ。「青春ドラマチックフォーク」を標榜する新機軸で、昭和テイストの人情劇が老若男女の客を笑わせ、大いに泣かせる。僕は3回めの参加で、年の功から泣かせ役の一端を担った。
 書きたいことは山ほどあるが、あえてエピソードを2点。言動派手めで金持ち好きの謎の美女関口美里を歌手の小沢あきこが演った。客から嫌われそうな、いやみ極まる役を、熱心に形づくって見事な出来。歌手生活25周年で記念曲「熱海あたりで」をプロモーション中の中堅が、ふだんの〝いい子ぶり〟をかなぐり捨てた肚の据え方がなかなかだった。もう一人は戦死する若者・角田弘昭役の千年弘高。もともと血の熱いロック歌手が、軍人らしさを狙って7キロも減量、髪も五分刈りの坊主頭にして熱演また熱演、このチームのペースメーカーの一人になる。ほとんど下戸なのがけいこ後の反省会!? の酒に酔い、帰路の電車で乗り越すこと再三。ボスの田村から禁酒令が出るなど笑い話も自作自演した。
 ここのところの酷暑には参ったが、星野の周防大島も例外ではなかった。僕が一夜の世話になったのは、星野夫人・朱実さんの姉葉子さんが宮司を務める筏八幡宮。島内のホテルが用意されていたのを、敢えてこちらに鞍替えした。往年の「蚤の市」は歌手も10数名の大がかりで、メーカーの星野番が作る〝哲の会〟をはじめ、マスコミ関係者などが大挙押しかけ、この神社で大喜びの雑魚寝をした。明け方まで高歌放吟の酒組と、あさまずめ狙いの釣り組が交錯して、寝る暇もなかったのは葉子神主と地元の手伝いの人々。ここは僕ら演歌勢の、懐かしの古戦場なのだ。
 葉子さんは今年米寿の88才。腰は多少曲がったが、立ち居振る舞いは矍鑠としたもの。能のお面の姥そっくりの、気品がある細面がにこやかに、昔と同じ接待をしてくれた。僕らは心ばかりのお祝いをして、すっかりその好意に甘える。虫のいい話だが、島の人々に甘えることが星野の供養だと思っている。
 10周年の記念館は開館当時そのまますこしも古びず、関係者の丹精のほどがしのばれた。人口1万7000の島が、観光客招致100万人を達成、来館者がひきもきらないと聞いた。
週刊ミュージック・リポート