新歩道橋1000回

2017年11月19日更新


 「次回は1000回ですから...」
 編集部の寺澤有加里クンからの電話、心なしか声に笑いの気配がある。オメデトウの気分か。
 《そうだよな、えらいことになったもんだ...》
 と、当方はつい感慨深くなりかかるが、待て! 待て! と、自分を抑える。実りの秋だからあちこちに、イベントが山盛りだ。はやり歌評判屋としては、せっせと歩き回らねば嘘だろう。それにしても―。
 「おやじさん、あいさつお願い!」
 10月29日、東京プリンスホテルの「松川未樹感謝祭」へ出かけたら、ワークス・ディ・シィの大野佶延社長からいきなりの指名である。
 「よしのぶ、それはないだろ」
 なんて言っているうちにもう呼び出しのアナウンスだ。彼は僕をそう呼び、僕は彼をそう呼ぶつきあいが長いから、否も応もない。10周年おめでとう、あの社長独特の言語と美意識に、よく耐えて頑張った...と、松川に呼びかけながら、さて、着地をどうするか、あいさつの途中に考えているのだから、忙しい。
 松川は一、二部に分けて25曲余を歌った。記念曲「凛と立つ」ほかのオリジナルに「かもめの街」「みだれ髪」「イヨマンテの夜」まで。隣の席にいた作曲家岡千秋は彼女の師匠だから、
 「この10年で、地力はしっかりついたな」
 「ね、いいでしょ。よくなったでしょ」
 「あとは彼女の歌のハラワタを聞きたいな」
 などと、相当に乱暴なやりとりになった。
 その前日の28日には、渋谷シダックスのカルチャーホールで花園直道の「夢舞ライブ」を見る。こちらも10周年と銘打っていたが、歌も踊りも殺陣も...と、美青年・大衆演劇テイストのライブがその年数で、キャリアは15年にもなる。することなすこと華麗にめいっぱい、来客全員と握手をして回るバイタリティにも脱帽する。
 11月4日は有楽町のよみうりホールで丘みどりのファーストコンサートだ。美女演歌としてこのところめきめき...の人だが、びっくりしたのはそのタレント性。上演前のアナウンスまで陰マイクで本人なら、歌の合い間のトークも本音っぽく客をそらさない。客の方も大したもので、蛮声の応援がひっきりなしに会場を圧して、丘のもう一つの顔は演歌系のアイドルでもあった。
 10月26日の浅草公会堂は島津悦子の30周年記念コンサート。あちこちで会って旧知の人だが、生のステージに接するのは今回が初めて。こちらの手抜きのせいだが
 《昔は日劇や国際劇場が毎週歌手ショーをやっていて、旬の人を見落とすことはなかったのに...》
 と、妙な言い訳をして頭をかく。島津はおなじみのヒット曲を並べたうえに、三味線の弾き語りの端唄「柳の雨」が本格的で「お吉物語」につないだ艶っぽさとベテランの芸で客を喜ばせた。びくりしたのは、島津にからむ日舞で辻本伸太郎が登場したこと。川中美幸の劇場公演などで一緒になり、呼び捨てでつき合う飲み友だちの青年だが、若柳禄寿門下で15年も踊っているのをすっかり忘れていた。
 《松川、花園、丘もそうだけど、デビュー前の研鑚が相当に長い分だけ、芸事の芯がしっかりしている》
 と合点がいった。若手と言われてはいても、それぞれ自分の世界をちゃんと持っていて、運かツキかでひとつ弾ければ、即ブレークの予感を示すエネルギーが頼もしい。
 うらやましいのは若さだ...と思い当たるこちらは、今回がこの欄、連載1000回め。もともとは「ミュージックラボ」と言う情報誌で始めたコラム「歩道橋」が20年ほど続き、廃刊で終了したのが平成6年の2月。ところが奇特なご仁が現れて「新歩道橋」とタイトルを変えてこちらのお世話になる運に恵まれた。第1回が平成6年5月2日号と言うから、ブランクはわずか3カ月。仲を取り持ってくれたのは〝ホトケの市ちゃん〟こと元東芝EMIの市川雅一氏だから、足を向けては寝られない仕儀になっている。
 もう一人頭が下がったのが作詞家のたかたかしで、何とミュージックラボ時代の「歩道橋」を、全部コピーしていたとかで、それを届けてくれた。大型の書類ばさみ3冊分がズッシリと重い。書きっぱなしで手許に何も残っていない僕は、合計50年余分の雑文に、冷汗をかきっぱなしになった。
週刊ミュージック・リポート