新歩道橋1001回

2017年12月2日更新


 流行歌はやっぱり、フルコーラス歌うべきだし、聞くものだと常々思っている。それがいつのころからか、2コーラスが当たり前になった。テレビ・サイズに慣れたせいだろうが、これでは楽曲は未完のまま。それに疑問も持たずにプロ歌手が大てい2コーラスで、カラオケ族だけが聞くに耐えない蛮声でフルコーラスというのには腹が立つではないか!
 11月15日の三越劇場。「大月みやこ2017秋のコンサート」で、彼女は2曲だけフルコーラスで歌った。「矢切の渡し」と「女の港」である。前者は石本美由起の詞、後者は星野哲郎の詞。フルで聞けば「なるほど!」と、作詞者が描いたドラマの展開や奥行き、含蓄の妙などに感じ入る。2曲とも作曲は船村徹で、同じメロディーでもコーラスごとに、趣きを変え得る懐の広さがある。描かれた光景や主人公の気持ちを歌い分けるように、歌手の感性や力量に委ねる部分で、そこを歌い切ることが、歌い手の役割であり、誉れでもあろう。
 ことに大月にとって「女の港」は記念すべき曲である。この1曲で彼女は20年近い無名時代を脱出、彼女の歌世界を確立できたと本人も語っている。それだけに歌う都度、往時の昂揚や感慨が甦るはずで、この日のコンサートは船村徹追悼がコンセプトになった。歌われた船村作品はほかに「あの娘が泣いてる波止場」「おんなの宿」「霧笛の宿」「珸瑶瑁海峡」「対馬海峡」「豊予海峡」など。残念ながら多くが2コーラスで、中には1コーラスの歌唱もあった。なるべく数多くの作品を...という意図があるとすれば、やむを得ないかとこちらは妥協する。
 平成2年、大月が初めて新宿コマで長期公演をやった「婦系図・お蔦物語」の一景、湯島天神の場を20分ほどの一人芝居でやる趣向もあった。当時、
 「お芝居なんて私、とてもとても...」
 と、不安を訴えた彼女に、前年美空ひばりが死んだこと、その仕事を引き継ぐ役目がお前さんにもあることなどを挙げて、僕はお尻を叩いた。しかし何のことはない、彼女はすでに肚を決めていて、その決心の反応を僕に確かめたかっただけだったろう。コマへ見に行き上々の出来に安心して、
 「お前さんの芝居見て、俺泣いたよ。ごほうびをあげなくちゃ...」
 と、後日、ゴルフに誘った思い出もある。この公演の主題歌「命の花」も船村作品。彼女とのつきあいはもう50年を越えた。
 コンサートの追悼コンセプトはペギー葉山、平尾昌晃にもおよんだ。キングレコードの先輩だったペギーのコーナーでは「南国土佐を後にして」「ケ・セラ・セラ」「つめ」「あいつ」「学生時代」をドレスで歌う。平尾のコーナーはバンド演奏で「霧の摩周湖」「わたしの城下町」があり、リーダー格のギタリスト斉藤功が船村作品に戻って「哀愁波止場」を弾いた。彼は船村の〝演歌巡礼〟をはじめ、多くのコンサートに同行した仲間たちバンドのメンバー。その旅のエピソードをひとくさり語ったが、名演奏はおなじみでも、トークを聞くのは初めてだから、客席も「ほほう...」の雰囲気になった。
 客席の同じ列に作詞家の岡田冨美子と作曲家の弦哲也がいて、声をかけられた。二人は大月の新曲「流氷の宿」を書いたコンビ。岡田が珍しく演歌を書いたが、このジャンルおなじみのフレーズを避けて、いかにも彼女らしい作風が新鮮、それに弦がいいメロディーをつけているのに、こちらも大月の歌唱は2コーラス。
 「それはないだろ、せっかくの三幕芝居を二幕にはしょるなんて...」
 と、僕はまた不満を口にした。
 それにしても...と振り返り気分になる年である。船村、ペギー、平尾をはじめ、小川寛興、北原じゅん、曽根幸明の作曲陣が亡くなり、作詞の仁井谷俊也はまだ働き盛りの60代。親交のあったかまやつひろし、プロデューサーの山田廣作、元キングの赤間剛勝、僕を役者の道へ導いてくれたアルデル・ジロー社長の我妻忠義、熱心な観客の一人だった川中美幸の母久子さんまで見送った。「歩道橋」20余年、「新歩道橋」1000回、50年余の雑文暮らしのあれこれを思い返して、今回が1001回めである。三越劇場から帰った深夜、元東芝EMIの市川雅一氏が届けてくれた1000回祝いの酒と肴をチビチビやりながら、僕は見送った友情とあたため続けている友情とを、一緒にかかえ込んでいた。
週刊ミュージック・リポート