新歩道橋1006回

2018年1月28日更新


 冬の谷端川南緑道を歩いている、地下鉄有楽町線の要町駅から10分ほど、行く先は廃校になった大明小学校の211号室。もともとは図工用の教室だったらしい一室が、2月公演のけいこ場だ。所属する東宝現代劇75人の会が、毎回ここを使う。今回の演目は「私ん家の先に永代」で、僕のこの道の師匠・横澤祐一の作、演出、おなじみになった深川シリーズの5作め。
 毎日行き来する緑道は、もともと川だったところに作った遊歩道だから、適度にカーブがあって、両側は植え込みの木々。以前は夏の公演だったから、季節の花々が目を楽しませてくれた。それが今回は冬なので、百日紅も無花果の木々も、貧相な小枝もあらわに、緑は植込みだけ。そう言えば一昨年は昼顔や美女柳、立ち葵などの花が色とりどりだった...と、年寄りの感慨をちらっとさせながら、冬枯れの中を歩く。
 頭の中はグルグル回っているのだ。ブツブツ口をついて出るのは覚えなきゃならない芝居のセリフ。前号に書いたが、A型インフルエンザにやられて閉門蟄居。僕ひとりがけいこに出遅れているから、気が気ではない。みんなはもう立ちげいこに入っている。遅れた僕だけ台本を持っているわけにもいくまい。
 「セリフが多くて、恐怖を感じるよ」
 と、共演者の一人丸山博一が冗談めかす。僕より2才年上、「屋根の上のバイオリン弾き」も「放浪記」も...と、名だたる東宝の大作舞台を連戦したベテランでも、ふとそんなことを考えるらしい。今回の芝居は昭和30年代のお話、深川永代橋東詰めにある旅館「永代荘」の主人稲延福三郎が丸山の役。僕はその裏にある吉桐医院の開業医師。舞台は旅館と医院をつなぐ形で付随する船着場の待合室だ。
 丸山先輩と僕は、似た年かっこうの気のおけない隣人同士。旅館に乱入した娘とあれこれやり合ったあとの丸山が、今度は僕と世間話をはじめる。一見とりとめもないやりとりが、下町おやじらしい口調で続く。しかしそれがやがて意外な展開につながっていく伏線なのだから、一字一句おろそかに出来ない。
 僕は似たようなやりとりを、旅館のおかみさんの鈴木雅とやり、旅館に居付いた気のいい女の高橋ひとみともやる。いずれもほとんどサシの会話。遅れてけいこに入った僕は、三人の役者さんに何とか追いつかなければ申し訳ない立場だ。
 セットは船着場待合室の一杯だけ。そこに16人の人々がそれぞれに問題をかかえて出入りする。面白おかしく、時にホロッとする人情劇が、いくつかの死と思いがけない生を束ねて、突然、劇的な大詰めを迎えるのだが、全体はいわばセリフ劇。それぞれが立ちっ放しでは芝居にならないから、こまごまとした動きが求められる。
 「小西さん、そこ、こうしましょうかね」
 演出の横澤に言われてみれば、いかにもいかにもと腑に落ちる立ち居振舞い。それを何回か繰り返すうちに思い当たるのは、ベテラン俳優の技と言うか、芸の引き出しの多彩さと言うか。
 例年、けいこ終了後は池袋あたりの居酒屋で飲み会である。僕はそれを〝反省会〟と受け止めて、連夜、先輩たちの世間話に、耳をダンボにしてつき合った。芝居のヒントや心得が、ひょこっと出て来たりするので、油断がならない。ところが今回は病み上がりのせいか、誰からも声がかからない。僕も神妙な顔つきで自粛しているが、恐れているのは風邪のぶり返し。万が一そんな事態を引き起こしたら、何を棒に振るのか、考えただけでもゾッとする。
 したがって帰路も要町駅まで、谷端川南緑道をトボトボ歩きである。だいぶ陽が伸びて来た細道に、夜陰がしのび寄る。人間中毒とネオン中毒を長いこと患っている僕は〽日暮れになると涙が出るのよ、知らず知らずに泣けて来るのよ...と、やたらに古い歌のひと節を口ずさむことになる。
 《さて、そんなこんなで時間が出来たのだから...》
 と、池袋から乗った湘南新宿ラインで、送稿しなければならない原稿のメモなど作りはじめる。実は群馬の下野新聞に、月2回日曜付で2年の連載をはじめていて、タイトルが「素顔の船村徹・共に歩んだ半世紀」である。昭和38年に出会い、私淑して54年、船村については書きたいことが山ほどあって、昨今あわせて思い浮かべるのは、星野哲郎、美空ひばりの顔だったりする。
週刊ミュージック・リポート