新歩道橋1007回

2018年2月12日更新


 神野美伽の「千年の恋歌」が面白い。荒木とよひさにしては珍しく短い4行詞。それも前半2行が片仮名表記で後半2行が平仮名表記。「会いたくて、会いたくて、ただ会いたくて」とか「次の世は、次の世は、ただ次の世は」なんてフレーズも出て来る。神野と荒木は離婚している。それとこれとを考え合わせると、この詞は荒木のはかない〝未練の恋歌〟とも聴こえる。
 《そんな訳はねえだろ、今さらなあ...》
 などと、二人と親しい分だけ乱暴な感想を抱きながらCDを聞き進む。1コーラスめのバックがギター1本。それが聞き進むうちに、厚めのオーケストラにふくらんで、ドラマチックに神野の歌唱を支え、いざなっていく妙がある。誰のアレンジだ? 近ごろ秀逸! とクレジットを見たら、蔦将包とあった。
 《こういうところにも、船村徹流が生きているのか!》
 僕は感慨深く合点した。船村の演歌巡礼などでは、彼が斉藤功のギターだけで歌い出し、やがて仲間たちバンド総がかりの展開になって、独特の情趣を作ったものだ。その編曲も息子の蔦である。まさにこれは父子相伝の境地ではないか!
 核になるのは弦哲也の曲。これが優しさと包容力を持ちながら、姿すっきりと哀感ひと筋のワルツだ。
 《む? 平成の〝船頭小唄〟を狙ったか?》
 近ごろ僕はあちこちで「彼は平成の古賀政男になる!」とヨイショしている。演歌と歌謡曲、ポップス系まで幅広く量産しながら、ヒットのアベレージが群を抜いて高い。古賀政男は映画主題歌が多く、当時の映画をメディアとして活用した。弦の今日は、テレビの歌謡番組もわずかで、頼るメディアもないまま作品本位の独歩だ。BSテレビの昭和の歌ばやりを尻目に、昭和テイストを平成タッチで生かすあたりが頼もしいではないか!
 それやこれやを神野と話した。MC音楽センターという会社の機関紙の対談でのこと。
 「ワルツの歌が欲しかったの。シングル書いてくれますか...って、とよひさ先生に電話をしたら〝もちろん〟って。何日かあとに〝出来たッ!〟って、届いたのがあの詞なの。あっ、これはワルツだ...と思っていたら、弦先生もそのものズバリでしょ」
 別れてもかつての同志、歌のことばかりは有無相通じるものらしく、作曲家は詞を読み切ってそれに応じたということか。
 神野はこのところ、まるでロックかと思うくらいパワフルでエネルギッシュな歌唱に没頭している。4年前の30周年、渋谷公会堂でそれに出っくわして僕は驚倒した。バンドもガンガン歌もガンガンで、一瞬「暴走演歌か!」と思ったくらいだが「酔歌」も「流氷子守唄」も彼女バージョンで、全身全霊を傾け、今日ただ今の神野スピリットを全開放していると気づく。演歌と演歌歌手のアイデンティティーをニューヨークで試し、その気合いをそのまま日本に持ち帰っていた。
 演歌歌謡曲は、作品の情感やそれにこめられた作家の思いを、歌手が肉声化するのが基本。ところが神野は作品を自分の歌世界の道具として取り込んでいる。それもこれもこのジャンルの先細り、低迷を何とかしたい一心、ファンの高齢化を睨み、若い世代の共感を得るためのアピールなのだろう。誰にでも出来ることではないが、そう出来るエネルギーと性格は彼女ならではのものだ。
 「ねえ、今、とよひさ先生と言ったねえ」
 と僕は問いただした。夫婦だったころは「お父さん」とか「荒木さん」とか言っていたはずなのだ。離婚後それに彼女が迷っていたら「とよひさ先生がいいじゃない?」と助言したのは評論家で作詞家の湯川れい子だと言う。離婚が彼女を発展させたとも言った。京都で暮らす荒木を「ダンナは放し飼い」と笑っていた彼女も、実ははぐれた放し飼い状態にうつろだった。それを苦しんで、吹っ切ったところから、決然とパワフル神野の世界へ踏み切れたのかも知れない。
 歌手生活が35周年、冒頭の「千年の恋歌」はその記念曲である。昨年秋の新宿文化ホールのリサイタルでは、ただひたすらガンガンの間に「紅い花」の情感もはさんだ。神野のパワフルロック・スピリットは、そういう陰影を示しはじめていた。だとすれば彼女の演歌はいうところの二刀流になる。陽はアルバム「夢のカタチ」の数曲にあり、影はシングルカットした「千年の恋歌」ということになるのだろう。
週刊ミュージック・リポート