新歩道橋1012回

2018年4月8日更新


 大阪は雨。しかし、しょぼしょぼの春雨だし、こちらも終演後、劇場からホテルへまっすぐ帰るはずもないから、別段気にはならない。それよりも、弟分扱いが長い作詞家石原信一が書いた旧作「LuiLui」のイントロで、ボケ老人役の僕がひょこひょこ舞台に出ていくことになろうとは、夢にも思わなかった。
 新歌舞伎座3月は、川中美幸特別公演。それの第二部のショー「川中美幸オンステージ~人うた心」での一景。タッパのある赤井英和、堂々のパイロット姿にからむコントで、こちらは空港に迷い込み、「どこへ行きたいのか?」と聞かれれば入浴と答える。ニューヨークと聞き間違える赤井に、行き先は「ナンバや!」とまるでトンチンカン。その後、風呂桶を持っていい気分で出てくると、出演者全員が問題の曲を踊っていて、まるで場違い。歌っている川中に追い返される段取りだが、その辺で石原の笑顔を思い出すから、こちらのボケぶりがどうしてもヒートアップする―。
 やっていて、面白いもんだなあ...と思う。東京で言えば「しゃれのめす」感じの演出が、大阪だと「くすぐる」感覚で、歌謡ショーなのに随所に〝拍子抜け〟のギャグがちりばめられている。構成・演出の福家菊雄もどうやら大阪系。
 「楽しんで! 遊んで!」
 と指示する意味は、やれるだけやってみろということか。見回せば共演者のほとんどが大阪勢。委細承知...とばかりのノリだ。例えば、ほとんど介護状態なくらいに世話になっている大原ゆう、藤吉みかに荒川秀史のトリオと一杯やるとする。この三人の会話が途絶えることなく、まぜ返しや皮肉、冷やかしなどの合の手でのべつ幕なし。ジョークの応酬が場の空気をやたら陽気に持続する。狙い定めたジョークを一発、周囲がそこそこ受けて次に進む僕らの酒の飲み方とは、まるでテンポが違う。これが大阪流諧謔のツボなのか?
 その親玉が川中美幸である。
 「こんな時代だから、お客さんにうんと笑って、楽しんで貰わないと...」
 と、公演の狙いの要旨を話すが、これも関西弁のジョークまじりで、ほとんど真顔にはならない。第一部の芝居「七変化! 美幸一座~母娘愛情物語」は大衆演劇の劇団を母親から継いだ彼女の二代目奮闘記。そのため劇中劇として「白浪五人男」「国定忠治」「月形半平太」などの名物面が出てくるが、全部パロディー仕立てだ。「座長漫才」ではほとんど無口な赤井を相方に、立て板に水...で笑いをとりまくる。
 こう書けば、よくあるドタバタ喜劇と思われそうだが、それが下品に堕ちず安易に流れないのは、金子良次演出のきめ細かさと厳しさ。出演者にアイデアを求めて自主性を持たせ、自分でも演じてみせる詰め方が、笑顔のままだが油断がならない。全体的に注意されるのはテンポの良さで、不必要な〝間(ま)〟や余分な思い入れはカット! だ。ふだんの言動が加齢により、なお間だくさんになっている僕は、日々勉強、勉強...と、実にいい機会に恵まれている。
 それにしても...と、舞台そでや楽屋に居ると、どうしても感慨の波が来る。「豊後水道」や「ちょうちんの花」では阿久悠「金沢の雨」や「越前岬」では吉岡治「飛んでイスタンブール」が出てくればちあき哲也「遺らずの雨」では三木たかしら、亡くなった作詞家、作曲家の顔がちらつくのだ。それぞれ親交のあった人々だが、個人的な回想も含めて、個性的で上質の、得難い才能を見送った残念さが、改めて胸に来る。昨今の演歌歌謡界と睨み合わせると、後進諸氏の奮起に期待が大きくなったりする。
 大阪と言えば作詞家もず唱平がボス格で、川中にはデビュー前後からの恩師に当たる。川中公演といえば、必ず足を運ぶのが作曲家弦哲也と夫人の愛称弦ママ。そんな人々と長い親交を持つ僕は、彼らが楽屋に現れると途端に、
 「やあやあ」「どうも、どうも...」
 と歌社会の人間に舞い戻る。居合わせた役者仲間が「え?」「何で?」とびっくりする面映ゆい一幕だ。
 関係者が驚嘆するのは、川中の「八百屋お七」の人形振り。振付の花柳輔蔵つきっ切りの猛げいこで、ほぼ一週間で仕上げたとは思えぬ本格派ぶりで、これが第一部のドタバタ喜劇をきっちり締める。集中的好評を受ける川中だが、
 「亡くなったお母ちゃんの夢やったしな...」
 と、その話の時ばかりはまじまじと、宙空を見詰める眼差しになる。
週刊ミュージック・リポート