新歩道橋1029回

2018年9月22日更新


 歌手小沢あきこのダンナが倒れた...との一報は、けいこ場の空気を一変させた。路地裏ナキムシ楽団の中目黒キンケロ・シアター公演が初日を8月31日に控えていて、彼女はその主要女優の一人だ。座長で作、演出者の田村武也が、一応万が一の場合を考える。とは言え出演役者は15人、配役を一役ずつ繰り上げるしか方法はない。
 「でも、本人が頑張ると言っているから、それを待とう」
 小世帯なりに結束の堅い集団だから、みんなそれなりの決意を眼の色にした。
 翌日、さりげない面持ちで、小沢はけいこ場に現れる。気づかって僕らもふだんの顔つきで彼女を迎える。病名も容体も誰も聞かない。あらかじめ「脳梗塞」と「意識がない」と知らされていて、それ以上詮索する必要はない。内心で僕は「ん?」にはなっている。意識がないというのは只事ではない。体験が多いだけに別の病名も考えたが、それも口に出せるものではない。
 それから二日ほどのけいこと本番の5公演を、小沢はものの見事にやり遂げた。演目が「雨の日のともだち~死神さんはロンリーナイ!」というファンタジックな人情劇。皮肉にも「生」や「死」にまつわるセリフがひんぱんに出て来る。小沢扮するマリアとホームレスの僕は実は父子という設定。母親を焼死させたことで、娘と父は義絶状態。それが僕の死後、火事場へ飛び込み娘を救った真相が明らかになる。
 死後の僕と生身の彼女との切ない和解と、改めての別離のシーンがドラマの大詰め。その前に、
 「意識が戻らないの?」
 「年の割に働きづめの人だったからなあ」
 などというやりとりが、他の役者間であったうえ、僕が、
 「生きてくれ、マリア! 母さんの分も、な!」
 と叫ぶのが幕切れである。セリフの一つ一つが、小沢の胸に刺さったはずだ。事態が事態だから、僕のセリフも意味合いがダブる。
 「お父さん!」
 やっと言えた娘のセリフは、小沢のあふれる涙と一緒。それに頷き返しながら、僕も本気で泣いた。
 公演終了3日後の9月5日、訃報が届く。小沢の夫君はミュージシャン奥野暢也、やっぱりくも膜下出血で、4日午前死去、53才...。と言うことは彼女は病院と劇場を往復していたのか。文字通り不眠不休の日々だったのではないか。そう思うと改めて胸が痛い。劇場で相手役の小沢に僕がかけ得た言葉は「寝ろよ、お前がしっかりしてないと、な!」と「芝居は大丈夫だ。二人で何とでもやって行けるよ」の二言でしかなかった。
 9月10日は終日かなりの雨。桐ヶ谷斎場の通夜に出かけた僕は女優小沢あきこの相手役としてだ。
 「しかし、待てよ...」
 僕はその道々、夫君奥野暢也に思い当たりがあることに気づく。スタジオ・ミュージシャンでドラム奏者、だとすると僕は、プロデュースした多くの作品の録音スタジオで、ずいぶん世話になった彼ではないのか? 通夜の会場には名だたるプロデューサー、ヒットメーカーの作曲家たちなどの顔が沢山あった。遺影を見てやっぱり彼だ! と確認する。ミュージシャンとプロデューサーは「おはようス」「お疲れさま」のあいさつ程度で、お互いに名乗ることのない仕事場。そのくせ僕らの作品は全部、そんなつき合いの彼らの才能と技に支えられている。
 歌手の山内惠介が公演先の和光市から飛び込んでくる。奥野は彼のためのバンドのリーダーで、もう10年のつき合い。名古屋公演までずっと一緒のツアーで、別れた翌日に彼は倒れたのだと言う。
 「参ったよな、こんなことになるなんて...」
 山内が所属する三井エージェンシーは、三井健生社長夫妻に娘や社員たちまでが駆けつけていた。
 そのお清めの席で、僕は歌社会の友人たちと故人の話をし、その後は五反田の居酒屋で、ナキムシ楽団の面々と改めてのお清めをやる。話題はとことん頑張り抜いた小沢の意地と芯の強さ。黒の和服で、凛然と通夜の客に応対した喪主としての立ち居振る舞いの見事さ。座長の田村や夫人をはじめ、レギュラーのミュージシャン、役者が全員顔を揃えていて、実にいい奴らだと改めて感じ入る。
 小沢は今年が歌手25周年。故郷長野に材を取った記念曲「飯田線」が出たばかりだから、健気な孤軍奮闘はまだ当分続くことになる。
週刊ミュージック・リポート