新歩道橋1037回

2018年12月16日更新


「おお!」
 思わず僕は快哉の声をもらした。大手プロダクション、サンミュージックの創立50周年記念式典の写真を見てのこと。前列中央に相澤社長、森田健作千葉県知事と並んで名誉顧問の福田時雄さんの笑顔があるではないか! 〝業界現役最長不倒距離〟と敬意をジョークに託して、長い親交を持つ人だ。11月27日に撮影したものを、僕は翌28日付のスポーツニッポン新聞の紙面で見つけた。野村将希、牧村三枝子、太川陽介らこの事務所生え抜きの顔も見える。
 福田さんは昔から、僕ら新聞記者を大事にしてくれた。温和な人柄、歌謡界の生き字引きで、そこそこの酒好き、絶妙の話し上手...。思い返せばこの人とのひとときは〝夜の部〟の方が多い。レコード大賞や歌謡大賞が過熱していた昔、福田さんは陳情に全国を回った。審査をする民放各局のプロデューサーや新聞記者詣で。その先々へ転々と、彼のゴルフバッグが先行している話も聞いた。サンミュージックが各地にタレント養成所を持てば、その責任者としてまた全国...である。各地に福田さんファンが増え、情の濃いネットワークを作る。〝やり手〟だが敵はいない。
 〝永遠のNO2〟でもある。西郷輝彦のマネージメントを手掛かりに、先代社長の相澤秀禎氏とプロダクションを興した片腕。昔はNO2が独立、事務所を開く例が多かったが、福田さんは相澤社長の相棒に徹した。社長は松田聖子をはじめ、女性歌手を育てることに熱心だったが、福田さんは「それならば...」と、男性タレントの発掘、育成に力を注ぐ。森田健作は彼がスカウト、人気者に育て、やがて政界へ送り出している。
 もともとはドラム奏者。灰田勝彦のバンド時代、熱演!? のあまりシンバルを舞台に飛ばして、ボコボコのお仕置きを受けた話は、何度聞いても面白い。戦後の歌謡界のエピソード体験談で酒席は笑いが絶えない。西郷輝彦のバックに居たのがミュージシャンとしての最後の仕事。ある日西郷が「こんな感じで行けません?」とドラムを叩いてみせた。福田さんは4ビート、西郷の注文は8ビートだったから、福田さんは時代と世代の違いを痛感、即ドラムセットを売り、その金でスーツと鞄を買ってマネジャー業に転じた。
 人間関係もそうだが、飲み屋発掘にも鼻が利いた。業界のゴルフコンペでは前夜に現地へ先乗り、ここぞ! と決めた店で歓談、酒盛り、カラオケ...。お供は元コロムビアの境弘邦と僕だが、店の雰囲気も肴も、ハズレたことがない。最近「空振りばかりになった」と、ゴルフを卒業してしまったのが残念だが、僕の舞台は必ず見に来てくれる。終演後は小西会の面々ともどもお定まりの酒だが、こっちの方はまだ元気。
 「だいぶ腕をあげたが、さっと座ってさっと立てなくなったら、時代劇の役者は限界だよ」
 と役者の僕への助言もあたたかい。82才の僕より大分年上なのだが、友だちづきあいの眼差しが嬉しくてたまらない人だ。
 個人的な「おお!」をもうひとつ。11月18日、山形・天童で開かれた「佐藤千夜子杯歌謡祭2018」でのこと。歌どころ東北の人々がノドを競ったが「望郷新相馬」「望郷よされ節」「望郷五木くずし」と、かかわりのある〝望郷もの〟が3作も登場した。これは花京院しのぶという歌手のために僕がプロデュースしているシリーズで、カラオケ上級向けの難曲ばかり。相当に高いハードルを用意、歌う人に達成感を味わってもらう狙いがこんなところに生きていた。「...新相馬」が第1作で「...五木くずし」が最新作。長いつきあいの花京院には、
 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれだぞ」
 無名のままでも楽曲が財産とお尻を叩き続ける甲斐があったというものだ。
 この大会は日本のレコード歌手第1号の佐藤千夜子を顕彰、その故郷の天童で毎年開かれている。僕はもう14年も通って審査の仕切り役をやっているが、嬉しいことはもう一つ、この大会は地元ボランティアの人々だけで運営している手作りのイベントだが、その指揮をとるのが矢吹海慶という和尚。命がけの100日荒行を5回も完遂した日蓮宗の高僧だが、酒よし歌よしお人柄最高のくだけたご仁で、僕の天童詣ではいつからか、この人に会える楽しみの方が先になっている。
 矢吹師も福田さんも〝昭和の男〟の哲学と魅力山盛りの粋人だから、これを書きながら僕は「おお!」と3回も発する夜になった。
週刊ミュージック・リポート