新歩道橋1041回

2019年2月2日更新


 何かと屈託多めの新年、さて仕事だ、仕事...と切り替えて、CDをあれこれ聞き直す。胸の奥にツンと来る歌を選び出した。ブラザーズ5の「吹く風まかせ~Going My Way」と沢竜二の「銀座のトンビ~あと何年ワッショイ」の2曲。双方熟年の男の、成り行きで生きて来は来たが、さて...の感慨がテーマだ。80才を過ぎた当方も十分に思い当たる。前回に書いたが、星野哲郎の友人、北海道・鹿部の道場登氏を葬い、放送作家の杉紀彦や、元ニューハードのギター奏者で、浅川マキの曲を幾つも書いた山木幸三郎の訃報などが相次いだ1月、
 「う~む」
 と落ち込んだ矢先のことだ。
 〽あんな若さであいつも、あン畜生も、先に勝手に逝きやがって...
 と、沢の「銀座のトンビ」は友人を見送った男が主人公。〝あン畜生〟は少々乱暴だが、そう言えるつき合いがあったのだろう。残された主人公は、あと何年生きられるとしても、
 〽俺は俺のやり方で、お祭りやってやるけどね...
 とハラをくくる。お祭りというのは、女にチヤホヤしてもらえる、女房に大目に見てもらえる、暴れたがりな欲望を開放する...とノー天気。合いの手に「ワッショイ!」を繰り返して陽気に歌うが、居直りと言うか、自棄クソと言うか、面白くてやがて哀しい歌詞のココロが陰でうずく。
 作詞したちあき哲也は4年前に亡くなったが、僕にとっては〝あン畜生〟といいたいくらいの弟分、作曲した杉本眞人が大事なレパートリーの1曲として歌って来た。それに感動してカバーした沢は、僕より一才年上の大衆演劇の大物。作品の内容とノリに、思い当たる数々が彼の本音と重なって、
 「これはもう、俺の歌ですよ」
 と、気合いを入れてCDにした。年齢の割に声が若々しいし、役者だけに、やたら出てくる「ワッショイ!」のニュアンス分けもなかなかだ。
 ブラザーズ5はご存知だろうが、杉田二郎、堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山厳、因幡晃が組むユニット。いずれも70年代のフォークシーンで、ブイブイ言わせた男たちが熟年に達している。資料の勢揃い写真も高山以外はズボンのポケットに両手を突っ込んで、あっぱれ不逞のおじさんムード横溢だ。
 4年ぶりのシングルは「君に会えて...会えてよかった」と「吹く風まかせ~Going My Way」で、作詞が石原信一、作曲が馬飼野康二。両A面扱いと聞くが、僕は後者に悪ノリした。こちらも歌の主人公が熟年で、
 〽恋でもひとつしてみるか、行き先なんて吹く風まかせ...
 とノー天気。沢の歌の舞台が「銀座のクラブ」なのに比べて、こちらは「洒落たカフェテラス」と少々若め。曲もカントリーふうに軽快で、5人組の音楽的出自が生きる。
 気に入ったのは、各コーラス収めの2行分で、
 〽Going My Way Taking My Time 変わりゆく時代でも、俺らしく生きるのさ...
 のコーラス部分だ。5人組が気分よさそうに歌っていて、おそらく聴衆もここで声をあわせるだろう。沢の方はきっと「ワッショイ!」に、ファンが怒号で応じるだろうと、好一対の愉快さを持っている。
 作詞した石原信一は、彼が大学を卒業した時分から、僕がスポーツニッポン新聞で作った、若者のページのレギュラー執筆者のいわば同志。そのつきあいが今日まで続いている。ひと回り年下の団塊の世代で、ばりばりの売れっ子にのし上がったが、僕にとってはやはり〝あン畜生〟の部類に入る親しさだ。その辺で、
 「そうか...」
 と気づく。沢の「銀座のトンビ」もブラザーズ5の「吹く風まかせ」も熱く共鳴し、たまらない気分にされそうなのは、団塊の世代前後から上の男たちだろう。2作とも絵空事のはやり歌に、作詞、作曲者と歌い手の、本音の部分が重なり、にじんでいるからこその説得力を持つ。
 CD商売は橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦のご三家が活躍した昔から、買い手の年齢層をどんどん下げながら、今日にいたった。しかし、若者の音楽嗜好も多様化、細分化した昨今、買い手の的の年齢層を高めにし、反響を下におろしていく手もありはしないか。もともとご三家以前は、はやり歌は大人専用の娯楽だった。そんなことも再認識しながら、両者をこの作品で、同じ舞台に乗せてアピールしてみたい―遅まきながら、それが僕の初夢になった。
週刊ミュージック・リポート