新歩道橋1043回

2019年3月2日更新


 淡路島に居た。2月10日から12日の2泊3日。東京からすれば南の方である。多少は暖かいか...と、のん気な旅は、羽田から徳島へ空路1時間20分、空港から大鳴門橋の高速を車で40分、島の中心部洲本へは案外あっさり着いた。しかし寒い。日本へやって来た例の史上最強の寒波とやらで、淡路島も例外ではなかった。
 その寒空の下、11日の祝日に120人ものノド自慢が集まった。洲本市文化体育館文化ホールは〝しばえもん座〟のニックネームがある。そこで開催されたのは「阿久悠杯歌謡祭2019」阿久の故郷の島で、阿久作品限定のカラオケ大会である。
 《そりゃ、手伝うしかないよな...》
 と、審査に出かけたのは阿久作品で数多くのヒットソングを作った飯田久彦、朝倉隆に阿久の子息深田太郎と僕。あの〝怪物〟とは、切っても切れない仲の男たちということになる。おまけにゲストは山崎ハコ。彼女は阿久の未発表作を集めたアルバム「横浜から」を出したばかりだ。
 天候の加減で欠席者が3人ほど出たが、ステージのボルテージは高かった。それぞれが歌う阿久作品は、傑作揃いである。「また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「雨の慕情」などはレコード大賞受賞曲だが、出場者たちは楽曲に寄り添い、ちゃんと〝自分の歌〟にしている。「街の灯り」を歌ったのは6人「聖橋で」が5人「転がる石」が5人...と、選曲が重なっても、歌唱は思い思いだ。参加者は中部、四国勢を中心に九州や広島、関東、東北からも。
 言い出しっぺの情熱家は実行委員長の山中敬子氏。阿久が育った五色町の出身で、小学校から高校までを同じ校舎で学んでいて、崇敬の念がやたらに熱い。服飾関係の仕事で成功、島内有力者たちと親交があるうえ大の歌好きだ。彼女の一念発起に呼応したのが島の歌好きたちと観光関係者で、全国的組織の日本アマチュア歌謡連盟の竹本雅男本部長が指揮を取った。それにしても100人規模の全国大会である。第1回を成功に導いた陰の努力は、なみ大ていではなかったはず。話の発端から陰でかかわった僕は途中相当に心配したが、打ち上げの席では十分に快い酒に酔った。
 成功の第一は、地元の人々の情熱、第二は参加者の歌唱の水準の高さ、第三は阿久悠の作品力の凄さだったろう。審査員席で僕らは歌われる1曲ごとに、阿久との親交のあれこれを思い浮かべた。120人近くの歌を聞くのはかなり難儀! と覚悟したが、それがそうではなくなった。100点満点で採点しながら、作業はけっこう楽しく、会場の人々の拍手も長丁場だが飽きる気配がなく、暖かかった。
 ホテルの部屋で、兵庫県淡路県民局が編んだ小冊子「俳句で詠む淡路島百景」に出くわした。その序文に、淡路島は古事記に伝わる「国生み神話」の中で、日本で最初に創られた「日本のはじまりの島」とされているという。
 《ほほう...》
 と新しい発見をした気分で、書中の作品を引けば、
 「この島の地球にやさし花菜畑」
 「神の島埋みつくして若葉かな」
 「胡麻干して淡路瓦の本普請」
 「島一つ黄金に染めて秋落暉」
 「流星に明かせし夜空島のもの」
 などが目につく。阿久が少年時代にかこまれた島の豊かな四季や、彼の鋭く旺盛な叙情的感性を育てた風景に接した心地がした。
 島のイベントに参加するには、当日の前後がどうしても〝乗り日〟になる。3日目の12日は洲本から阿久の通学道路などを辿って、五色町のウェルネスパーク五色(高田屋嘉兵衛公園)へ出かけた。ここには阿久作品を映画化した「瀬戸内少年野球団」のモニュメントや、彼の没後「あの鐘を鳴らすのはあなた」をモチーフにした「愛と希望の鐘」がある。ありがたいことに前日までとは一変したポカポカ陽気。眼下に新都志海水浴場、その向こうは青々と播磨灘である。土地の名産だった瓦を使った碑銘や、青銅色の野球少年像にからんで記念写真...と、阿久を偲びながらのおのぼりさん気分だ。
 瀬戸内海はいい。これなら周防大島で星野哲郎音楽祭、小豆島でゆかりの吉岡治音楽祭がやれる。3島の優秀者を集めて、後日「瀬戸内歌の王座決定戦」ってのはどうだ! と、僕らの夢はふくらむばかりになった。
週刊ミュージック・リポート