新歩道橋1053回

2019年6月2日更新


 ゴールデンウィーク明けから、せっせと江東区森下へ通っている。逗子から馬喰町まで横須賀線と房総快速の相互乗り入れで一本道、そこで都営新宿線に乗り換えて、浜町の次が森下である。行く先は明治座のけいこ場、6月7日初日の大阪新歌舞伎座公演のけいこだ。今年は役者の仕事が少なめで、この公演がいわば令和初。〝せっせと...〟とは書いたが、実情は〝いそいそと...〟の方が当たっている。
 芝居は平岩弓枝作、石井ふく子演出の「いくじなし」一幕四場。主演が川中美幸と松平健の特別公演で、新歌舞伎座開場60周年記念企画だ。ご一緒するのは特別出演の中村玉緒と鷲尾真知子、中田喜子、外山誠二ら石井演出作品でおなじみの面々。関西ジャニーズJrの室龍太が二枚目、友人の真砂京之介や瀬野和紀は松平組、川中組は穐吉次代、小早川真由と僕といった具合いで、顔なじみには荒川秀史や森川隆士がいる。
 葉山からドア・ツー・ドア2時間半弱、電車の中でブツブツせりふを繰り返しながら移動する。けいこ開始は昼の12時半だが、1時間30分以上前には主演の二人以外、もうほとんど集まっている。気合いが入るのは、演出家が大物のせいもありそうで、石井も間もなくけいこ場入りする。いつもは横着に甚平をけいこ着にする僕も、今回は浴衣に角帯をきりり。とは言っても、昨年3月の新歌舞伎座公演の時にお衣裳さんに頼んで、帯をつくりつけにしてもらってある。着脱ベリベリッ...と便利なものだ。
 素足に雪駄をつっかけて、
 「おい、六ちゃん、お前さん、さっき井戸端に居たから、話は聞いたろ...」
 なんて、僕のせりふはいきなり上から目線。それに、
 「へい...」
 と応じるのが主演の松平で、その隣りに川中がいて、こちらにもひと言という、大変な出番を貰った。舞台は江戸浅草は龍泉寺町の裏長屋。川中は鼻っ柱の強い女房お花で、松平はその尻にしかれっぱなしの行商人。季節が夏の真っ盛りなのに、井戸の水が枯れてしまって、急遽井戸替えにかかる騒ぎになる。町内の世話役甚吉の僕は、大家さん鷲尾にくっついて、人集めに歩いている筋立てだ。
 松平と川中は大変である、かかあ天下と気のいい亭主のやりとりが、江戸っ子気質でやたら威勢がいい。冷やっこい水売りは今が稼ぎ時だから、井戸替えには私が出ると言い出すお花と、因業な大家の口ゲンカが丁々発止である。この二人は隣人の家賃についても険悪なヤマ場がある。六さんは大家に謝ったり嫁を叱ったりで、またやりとりが口早にポンポン...。
 主役の二人がこんなにしゃべりまくるのを見るのは初めて。僕と友人の真砂はけいこ場の隅で、
 「大変だよなあ、お二人は...」
 などと、なかば案じながら、なかば面白がっている。おはなしを厄介にするのは、長屋へ辿りついたいわくありげな姉弟の中田と室の存在。姉が弟のために身売りを計り、それを止める六さんと女衒の真砂の立ち回りの原因になる。
 おなじみの「暴れん坊将軍」なら、松平の殿様と悪者の真砂の殺陣が見事に決まるところだが、今回は二人とも町人。せいぜい息を切らしながら、くんずほぐれつの取っ組み合いである。舞台に蓮の花が並んでいて、白いテープで四角に仕切ってあるのは、どうやら沼地。ということは、本番では水槽に本物の水が仕込まれていて、二人はずぶ濡れ、泥まみれになる安配だ。松平ファンはびっくりしそうな設定だが、本人は楽しそう。女衒役の真砂は、けいこから本当に息があがる運動量になる。
 それやこれやの時代劇裏長屋人情劇だが、僕の出番は三場でブイブイいうばかり。演出補の盛田光紀の指示で、立ち位置や歩く段取りが決められたが、演出の石井からはダメが一つも出ない。90才超の大ベテラン演出家の顔色を盗み見ながら、身勝手な芝居をやっている僕はついに、
 「ご注意を頂いていませんが、こんな感じでいいんでしょうか?」
 と、お伺いを立てることになる。演出家はにこりと、
 「いいですよ。貫禄があって...」
 の一言だけだから、当方はありがたいやら、不安になるやら。
 今回、それでも開放感十分なのは、芝居が江戸ものなこと。この劇場の川中公演はここ何年か、関西ものが続いていた。大阪で関西弁というのは、僕にとっては難行そのもの。冷汗三斗だった日々を思い返しているが、さて、行きつけの居酒屋〝久六〟の女将さんは、元気だろうか?
週刊ミュージック・リポート