新歩道橋1054回

2019年6月8日更新


 けいこ場に森光子からの差入れがドカッと届いた。
 「えっ?」「えっ?」
 「えっ?」
 と、怪訝な顔の勢揃いになる。それはそうだ。贈り主の森は亡くなってもう、ずいぶんの年月が経つが、あれ? まだお元気でしたっけ? なんて呟きももれる。去る者は日々に疎しの例えもあるか、それにしても―、
 「あの人は、こういうことが好きだったのよ...」
 演出家の石井ふく子が謎ときをする。江東区森下の明治座スタジオでけいこ中なのは、6月7日初日の新歌舞伎座公演「いくじなし」の一幕四場。平岩弓枝脚本、石井演出のこの芝居の初演で、森光子が主演したそうだ。昭和44年、歌舞伎座でのことで、
 「相手役は中村屋でね」
 と石井がさらりと言う。中村屋というと...と、僕は訳知りの林プロデューサーを頼る。答えは勘三郎で、先々代に当たるとか。
 話題の贈り物は「京橋・桃六」の折り詰め弁当である。しっかりした経木の箱に、こわめしと季節野菜の煮物、肉だんごなどが詰まった逸品。包み紙の印刷によれば「創業百年、当主は四代目」で「素朴な手づくり」が売りとある。
 「なるほどなあ...」
 と、僕らはあの世の森とその関係者の心づくしに感じ入る。休憩時間にさっそく賞味する者や、大事そうに持ち帰る者まで、反応はさまざまで、しばらくは森の人柄や仕事ぶりの話があれこれ。森との親交が長かったのだろう、石井の笑顔が優しくあたりを見回している。
 昭和44年と言えば、かれこれ50年も前のことだ。その時も演出担当の石井にとっては、愛着のある作品の一つなのだろう。今回の主演は松平健と川中美幸。中村屋と森とはキャラクターも芸風も違うが、こちらはこちらの風趣である。身振り手振りもまじえて、こと細かに演出する石井の胸中に去来するものは、ありやなしや...。江戸時代の裏長屋が舞台。そこで暮らす嬶天下の川中と、滅法気の好い旦那の松平のやりとりで話が進む。
 松平は周知の通り、威風堂々の見事な体躯の持ち主。暴れん坊将軍や大石内蔵助をやる彼を見慣れている僕と友人の真砂京之介は、
 「とても貧乏人の体格じゃないよな...」
 などと、小声のへらず口を叩いている。大変なのは川中で四場全部に出ずっぱり。大阪出身の彼女が江戸下町弁で、威勢のいい啖呵もポンポンやるが、単語ひとつひとつのイントネーションが違うのだから、苦心のほどがしのばれる。
 もっと大変...と脱帽するのは演出の石井ふく子で、6月明治座と新歌舞伎座の演出の掛け持ちである。それも同じけいこ場で、昼前後から3時間余を明治座の坂本冬美、泉ピン子主演の「恋桜」のけいこ。引き続き僕らの「いくじなし」に入る。「恋桜」は昨年、大阪でやったものの〝思い出しげいこ〟だそうだが、大劇場二つ用を一つのけいこ場に居続けで、しかも石井は僕より10才も年上と聞いた。その情熱とタフさは、驚異的と言わざるを得まい。
 その手前、恐縮の限りだが、5月25日にはけいこを抜けて、僕は早朝から芝のメルパルクホールに詰め切りになった。今年35回を迎えた「日本アマチュア歌謡祭」で、100人、2コーラス、11時間の審査の取り仕切りである。スポニチ在職中に事業の一つとして立ち上げたイベント。東日本大震災の年だけ自粛して、36年のつき合いだ。驚くべきことに岐阜の長岡治生というご仁は28回連続出場の71才。歌唱水準の高さで知られるこの大会でも群を抜く実力者で、今回はグランプリに次ぐ最優秀歌唱賞を受賞した。28年も毎年聞いていると親戚みたいな気分になるが、歌に滋味まで生まれているあたり、頼もしい限りだ。
 5月は並行して、秋元順子のアルバムと次作シングルをプロデュースしている。秋元が友人のテナーオフィス徳永廣志社長を頼った縁でのお声がかり。
 「その代わりにお前なあ...」
 と、大衆演劇の大物沢竜二の「銀座のトンビ~あと何年ワッショイ」のプロモーションを彼に頼んだ。これも僕のプロデュースだが、ちあき哲也作詞、杉本眞人作曲の作品が、キャラと芸風にぴったりはまった〝昭和のおやじの最後っ屁〟ソング。沢がやたらに〝やる気〟でカッカカッカしている。
 それやこれやの後事を託して、僕は6月4日、大阪へ入る。やたら忙しいが、この節80過ぎの年寄りにすれば、ありがたいことこの上なしである。
週刊ミュージック・リポート