新歩道橋1062回

2019年9月8日更新


 《ほう...》
 いい歌に出っくわした。昼ひなかからうなぎを食って、日本酒をやったせいばかりではない。「小島の女」というその作品が、妙にしみたのだ。桟橋で男を見送る女が主人公。北から流れて瀬戸内へ来た居酒屋ぐらしだが、それが一夜の相手と別れる。ま、お定まりの設定だが、歌詞に気になるフレーズがいくつかあった。例えば、
 〽あたしの体を男がすぎた、何人だったか数えたくない...
 〽カモメが泣いたらあたしは起きて、みそ汁なんかを作って送り出す...
 ステージで歌っていたのは西山ひとみという歌手。聞いたことのある名前だが記憶はさだかではない。年かっこう、歌いぶりからすれば、かなりのベテラン。この世界の酸いも甘いも、そこそこ体験したろう気配がある。発声が妙だ。一度口中にこもったような声が、ハスキーな味を作って改めて出て来る。歌詞のコトバが粒立って聞こえないのは、唇の緊張感に欠けるせいか。しかし、これもこの人の個性と言えば個性か―。
 西山とこの作品に出会ったのは、大分前の7月27日丑の日。上野・不忍池そばのうなぎ料理屋亀屋一睡亭4階のライブハウスだ。実はこの日、ギタリスト斉藤功の演奏会がそこであり、友人夫妻に誘われて出かけた。船村徹メロディーを中心にやるのが気になった。斉藤は船村の自主公演「演歌巡礼」をサポートした仲間たちバンドのメイン・ミュージシャン。船村の知遇を得て、外弟子を自称する僕の船村歴は54年だが、
 「僕が今日あるとすれば、船村先生の薫陶を得たおかげです」
 と、常々語る斉藤とのつき合いも長い。
 さすがの手腕である。斉藤が弾いた船村作品は「別れの一本杉」「柿の木坂の家」「海の匂いのお母さん」「みだれ髪」など。弦を押さえた左手の指が、その箇所を離れぬまま、小刻みに揺れる。生み出された音色が、船村メロディーをはかなげに揺らして、余韻を深いものにする。泣くでもなく恨むでもなく、その哀愁にはそこはかとない抑制の妙がある。一世を風靡した〝泣き〟のギタリスト木村好夫の没後、斉藤が第一人者と目されるゆえん。多くの演歌歌謡曲系の作家や歌手が、レコーディングに彼をこぞって招くはずだ。
 西山はその会のゲストとして登場、斉藤のギターで「小島の女」を歌った。もう一度聞きたいと言ったら、すぐにCDが届く。山上路夫の詞、杉本眞人の曲、斉藤がアレンジしたアコースティック・バージョン。どうやら彼女は、旧作のこの歌を、後生大事に吹き込み直しをし、編曲を変え、趣きを変えているらしい。彼女にとってはきっと、宝物の作品なのだろう。
 《あの山上が、こういう詞も書いていたんだ...》
 ずいぶん長いことご無沙汰をしっぱなしの詩人の顔を思い返した。昔、小柳ルミ子で、泣いて見送る弟をなだめながら、嫁ぐ娘の真情を書いた作詞家である。あれも舞台は瀬戸内。それがこの作品では西山に、
 〽後添いぐちでもあったら行くよ...
 と、やすらぎの寝ぐらを探す女の心情を歌わせていて面白い。行きずりの男を見送る女が、約束はいらない、またふたり縁があったら逢えるさ...と、泣きも恨みもせぬあたりが山上流か。
 《流行歌って、いいもんだな...》
 僕は〝埋もれたいい歌〟との、偶然の出会いにしみじみとする。杉本の曲もなかなかだ。毎月々々、流行歌はひっきりなしに生み出され、その多くがさしたる反響も得ぬまま、流れ去っていく。歌好きたちの支持を得るヒット曲はひと握り。制作者と作家や歌手が、精根こめた仕事をしても、消費され続けるのが流行歌ビジネスの現状なら、だれも異を唱えることはない。
 「でも...」
 と、与えられた作品を掌の珠みたいに、長く歌い継ぐ西山の例は、それだけに得難い。作品の完成度が高く、歌手に似合いならなおさらだ。
 斉藤のコンサートには昵懇のジャズ歌手森サカエも来ていた。「ダーリン!」と呼び合い、人前でもハグをするこのベテランも、船村門下の姐御肌である。この会で僕は、西山のいい歌と出会い、船村の連載ネタをいくつか拾った。船村の郷里・栃木を中心に発行されている下野新聞の「素顔の船村徹・共に歩んだ半世紀」は、2年めに入っている。月に2回の掲載だが、地元だけに船村と親交があった読者は多い。その緊張感も手伝うのか、もう3回忌も過ぎた船村が、僕の胸中から全然居なくならない。それもこれも流行歌が結ぶ縁だろうか。
週刊ミュージック・リポート