新歩道橋1073回

2020年2月8日更新


 けいこ場に笑いが絶えない。場面ごとに芝居を固める時はもちろん、休憩時間もあちこちで、同時多発的に笑いのかたまりが生まれる。1月下旬の江東区明治座森下スタジオ。2月4日初日の川中美幸特別公演のけいこは、笑い合いながらその割にてきぱきと、事は進んでいる。
 笑いの震源地!? は、演出家の池田政之と出演者の一人井上順。柏田道夫作、池田演出の芝居「フジヤマ〝夢の湯〟物語」(二幕)は下町の銭湯が舞台。近ごろは家庭に内風呂が当たり前だから、経営に行き詰まり、女主人の川中が〝よろず代行業〟を兼業することになる。当然、従業員がいろんな役割を果たすのを、ハラハラ見守るのが、川中の幼なじみの写真館の店主井上と、ビューティークリニックの社長麻丘めぐみ。銭湯を我が劇場に! と飛び込んで来るのが、大衆演劇の座長松井誠...。
 お話がお話だから、笑いのネタには事欠かない。エピソードの一つずつを、役者が台本通りにやろうとすると、
 「もっと面白く行けない?」
 「一度下手そでへ走ったら、また戻っておいで。息が上がるまで、行ったり来たり...」
 などと、演出の池田が若手役者たちをそそのかす。さっさと応じるのが由夏・芦田昌太郎姉弟だ。
 「それならば、こう...」
 と誰かが言えば、大笑いしながら即採用。
 「こういうのはどうかしらねえ...」
 と、割って入るのが井上で、自分の芝居もせりふ回しから動きまで、あの手この手の提案だらけ。
 「笑わせる」「受ける」
 を、四六時中考えている気配で、けいこ場へ入る前に秋葉原あたりの洋品店へ出かけて、色も柄もこれ以上なしという奇抜な代物を仕入れてくる。僕などセリフがまだ生覚えでへどもどするのを尻目に、衣装から小道具まで、着々とメドをつけて行く。
 池田の率先垂範ぶりは、長い演劇生活の博覧強記に当意即妙がおまけ、芸の引き出しが山盛り状態だ。
 劇中劇や舞踊はお手のものの松井も、劇団員に扮する男女が集まると即、踊りの手ほどき。
 「生来せっかちなもんでねえ」
 と笑いながら、休憩時間もあれこれ忙しい。
 毎度のことながら、
「いい座組み、いい雰囲気」の中央にいるのは川中で、けいこ場の隅々にまでさりげない目配りとふれ合いづくり、関西の人特有のジョークもちょこちょこ飛び出す。その傍らで麻丘は、おっとりと出を待つ風情がなかなか。「わたしの彼は左きき」でブレークした当時のアイドル性も残しながら、60代の女性の生き方を探る気配だ。29年ぶりの新曲「フォーエバー・スマイル」を加えた自選ベストアルバム「麻丘めぐみPremium BEST」(CD2枚組40曲)が世に出たばかりだ。
 《それにしてもお二人さん、ずいぶん久しぶりに出会ったもんだ》
 というのが、けいこ場入りした僕の感慨。ザ・スパイダースのリーダー田邊昭知とはGSブーム初期から親交があり、井上や堺正章、亡くなったかまやつひろしや井上堯之らからは、〝リーダーの客〟として遇されていた。あのころ精かんな二枚目だった井上が、ギャグの虫状態でコメディを手探りしていることに頭が下がる。麻丘はレコード大賞の最優秀新人賞を獲得したころ、僕はそのスタッフの相談役だった。小澤音楽事務所の小澤惇社長、アルト企画高見和成社長らだが、その二人も今は亡い―。
 そんなことに思いを巡らせていると、左手が自然にすっと、タバコの箱へ行く動作になる。
 《あ、いかん、いかん、タバコはやめたんだ...》
 と苦笑いするのだが、正月元旦から禁煙生活に入っていることを、すっかり忘れているから妙なもの。つまりそのくらい禁煙が苦痛でも何でもなく、食事のあとや酒場で乾杯! の時などに、ふっとタバコに向かう微妙な習慣だけがまだ残っている。
 「何でまた?」
 「年が年だ、今さら手遅れでしょう!」
 「ま、カミサンは喜んでいるだろうがね」
 など、ここ1カ月での周囲の反応は、どちらかと言えば冷ややかである。
 ま、7巡めの年男としては、音楽業界各位に、妙に慣れ慣れしくなり、スポニチの後輩は全部呼び捨てになっている。役者としてはまだ13年めだが、舞台裏のあれこれも含めて、ともすれば判ったような顔をしはじめるころあい。この辺でそんな自分に、居ずまいを正させないとな...なんてあたりを、断煙の表向きの理由にしている。
週刊ミュージック・リポート