新歩道橋1077回

2020年4月11日更新


 「続いてます? ずっと」
 「うん、もう3カ月になる、そっちは?」
 「まだ1カ月、めしの後なんかが辛い...」
 作詞家喜多條忠とのそんなやり取りは、禁煙についてだ。僕が始めたのは今年の元旦。その後一緒に飲んだ時に喜多條は、
 「何でまた?」
 などと冷やかし顔だった。それが3月に入って突然「応援禁煙」をFAXで宣言して来た。この際俺も...の便乗型なのに、同じ苦労をして、僕を支援する気らしい。ま、きっかけは何にしろ、やめるならやめるに越したことはない。
 4月1日、僕らは東京・関口台のキングレコード・スタジオにいた。作曲家の杉本眞人、アレンジャーの矢野立美が一緒で、このトリオで作った「帰れない夜のバラード」の録音。歌う秋元順子は早めに入って、スタッフに〝おやつ〟を配るなど、こまめに働いている。
 「それにしても、こうなるとレコーディングも命懸けだねえ」
 集まったミュージシャンも、それがジョークになどならない真顔だ。
 3月29日、コメディアンの志村けんが亡くなっている。新型コロナウイルスが世界中に蔓延している最中である。スポニチ一面の大見出しは、
 「志村けんさん、力尽く」
 だった。体調不調で自宅静養に入ったのが3月17日、重度の肺炎で入院したのが20日、3日後にコロナウイルス陽性が判明、24日に人工心臓装置を装着したものの5日後に亡くなる。その恐るべき進行の早さへの驚きや、稀有の才能を失った無念がにじんだ見出しだったろうか。
 彼の死が〝眼に見えない敵〟の脅威を実感的にした。世界を震撼させるコロナ禍の実態をメディアが詳報し、国内の感染者数や死亡例が連日うなぎのぼりでも、どこか対岸の火事、他人事めいていた空気が一気に変わった。有名人の大病は、金の力で何とかなるものだ...とひがむ庶民の暗黙裡のうなずき方も、吹き飛んだ。「不要不急」という4文字熟語の意味が、より深く理解されはじめる。
 「力尽く」は3月31日付、翌4月1日付スポニチ一面の大見出しは
 「志村さんロス~寂しすぎるよ」
 だった。志村が生み出した笑いの数々を思い返す。徹底したムチャクチャどたばたが幼児を含めて全世代を喜ばせた。PTAが「低俗! 下品!」といきりたってもどこ吹く風でコントを量産、彼はテレビが生んだ実に今日的なコメディアンだった。それが、最期を誰にもみとられず、骨も拾われぬまま、カメラの放列に囲まれたのは、実兄知之氏に抱かれた骨壺という異様さ...。
 秋元順子の新曲に話を戻す。プロデューサーの僕が喜多條に「考えてちょうだい」と話したのは昨年の暮れ。年が変わった1月、新年会気分の宴会の合い間に雑談ふうな詰め。タイトルはその夜に決まった。禁煙話が出たのもその席。「今さら手遅れだろう」や「えらいこっちゃ」の冷淡な反応があり、試作の歌詞のFAXのやりとりの中で、喜多條が応援宣言をする。杉本が曲づくり、編曲を矢野が頑張った日々がはさまって、歌づくりは2人の男の禁煙騒ぎと並行していたことになる。その間に僕は2月のほぼ一カ月、明治座の川中美幸公演に参加していた。芝居と禁煙が両立できたのか...が冒頭の喜多條発言の真意だったか。
 「またひとつ、新しい秋元順子の世界をふやしていただけまして...」
 と、やたらに味のあるいい声で歌った秋元順子が言う。カップリング曲など「横浜(はま)のもへじ」で、「へのへのもへじ」の仇名を持つ謎めいた男のおはなし。
 「これは秋元さんも歌いたがらないネタだと思ったよ」
 と、作曲の杉本まで笑う怪作!? である。
 スタジオの内外、マスク姿ばかり目につく光景の中で作業は進む。オケ録りが終わったあたりへ、飛び込んで来たのはコーラス担当の女性2人。
 「黒人っぽいフィーリングでさ...」
 「OK!」
 なんてやり取りのあと、男性コーラスも加わって歌いはじめたから、スタジオ内に眼をこらすと、これが何と杉本と矢野が歌っている。他でもやったことがあるらしく手慣れた呼吸の合わせ方で、秋元の歌のお伴が出来上がる。こういう仕事は、みんなが楽しんでいる雰囲気の中で、その実、芯はまともに競い合うあたりが醍醐味なのだ。
 ところで6月に世に出す予定の秋元の歌づくり。この大変な時期に、これが「不要不急」のものか! と問われれば言葉もないが、仕事終わり恒例の一杯はちゃんと自粛した。社会人としての自覚はきちんとあるうえに、コロナが本当に怖いのだが、新曲は歌手の命だろうし、ねえ。
週刊ミュージック・リポート