新歩道橋1080回

2020年6月7日更新


 「やっぱり中止か。俺はそのイベントを、コロナ明け、仕事再開のきっかけにしようと思ってたんだけどな...」
 「ええ、状況が状況ですから、慎重が第一だろうということになって...」
 作曲家弦哲也のマネジャー赤星尚也とのやりとりである。今年は弦の音楽生活が55周年の節目の年。4月に自作自演の記念アルバム「旅のあとさき」を出し、6月にはライブ・イベントを華々しく...の計画だった。国が5月25日に緊急事態宣言を解除しても、新型コロナウイルスの感染は、第2波、第3波の懸念が尾を引いていての断念だ。
 アルバムは弦のセルフプロデュース、セルフカバーの作品集である。発売しっぱなしに出来るはずもないから、弦は自粛生活の中でも結構忙しいらしい。新聞雑誌やテレビ、ラジオなどのインタビュー。よくしたものでリモート取材なる新手法が当たり前になって、窮すれば通じている今日、時間と手間暇は多少かかるにしろ、弦の情熱や熱意はうまく伝わるらしいのだ。
 当方は改めて、記念アルバムをゆっくり聴くことにする。「北の旅人」から始まって「五能線」「渡月橋」「長崎の雨」「天城越え」などの11曲に、リード曲「演歌(エレジー)」を最後に加えた。2500曲を超える作品群から、弦が選んだのは旅にまつわる作品。5年前の50周年には自伝「我、未だ旅の途中」を出版しているが、今度はLP「旅のあとさき」である。人の縁、歌の縁を辿って全国を旅する歌書きの、半生そのものもまた旅であれば、その間の感興を見つめ直し歌い直すのが、この節目の年のテーマになったのか。
 「大阪セレナーデ」は都はるみが創唱したが、えっ、作詞も彼女だっけと再認識する。石原裕次郎、五木ひろし、川中美幸、石川さゆり、水森かおり、山本譲二らの歌で知られるヒット曲も全部新しいアレンジで、弦の歌唱用に仕立て直されている。全体が薄めのオケで、ギターがメインの趣向が目立つ。弦が歌を弾き語りの雰囲気でまとめているせいだ。
 あの「天城越え」でさえ、弦が声を張ることはない。声を抑え、節を誇らず、言ってみれば情緒てんめん。あふれる思いを胸中であたため、声を殺して伝えようとするが、思いのほどが堰を切って溢れ出す聴き応えがある。ほとんどの歌詞が一人称の話し言葉。女や男が旅の途中で、離れ離れの相手に心情を訴える。背景にその土地々々の風景が歌い込まれるから、主人公の絵姿もくっきりとする按配。そんな作品を選んで今年72才の弦は、演歌、歌謡曲への見果てぬ夢を、僕らに手渡そうとするようだ。
 結局作曲家弦哲也は、泣き虫や弱虫の味方なのだと合点が行く。つらいことも切ないことも耐えて忍んで、自分たちなりの明日を探す境地。だから彼の作品と歌は、嘆きや哀しみを芯に据えたうえで、温かく優しく、細やかな情で聴く側を包み込んでいくのだろう。
 55周年を代表する新曲「演歌(エレジー)」は息子の田村武也が詞を書いた。ギターが錆びついて指が切れても、意地を貫いた日々...と前置きをして、
 〽生きたあの日の、演歌が聴こえるか!
 という2行を最後に繰り返す。息子は父の音楽的半生をそう見立て、共感するのだろう。「演歌」の2文字は歌の中ではそのまま発音され「エレジー」のただし書きがつくのはタイトルだけだ。
 《ほほう...》
 作品リストのクレジットを見て、僕はニヤリとする。「大阪セレナーデ」「新宿の月」やアルバム用新曲4曲のうち「夏井川」を武也がアレンジをしている。弦のこのアルバムは、心情あふれるフォーク系シンガーソングライターである息子との、協演の側面を持つのだ。
 父親の弦との親交に恵まれる僕は、息子の武也とも親しい間柄である。「たむらかかし」をステージネームにする彼は、路地裏ナキムシ楽団の座長で、僕はその一座の役者である。ライブハウスからスタートしたこの楽団の公演は、青春ドラマチックフォークの生演奏と役者たちの芝居がコラボする新機軸。もともと〝ナキムシ〟を名乗るくらいに、人情の機微を描いて客を泣かせながら支持層を広げ、最近は中目黒のキンケロシアターを満員にしている。
 作、演出から音響も照明も...と、多岐多彩な座長の才能に敬服して、弦とはまた一味違うつき合い方をする。父は父、子は子、それぞれ繊細な感性と独自の活動を目指す2人の芸能者相手に、僕なりの忖度を加えたココロのソーシャルディスタンスだ。弦ママも赤星もと弦一族との日々はなかなかに楽しい。
週刊ミュージック・リポート