新歩道橋

2012年7月10日更新


新歩道橋812回

   そうか、浅草もいいな。仕事が済んだあと誰かと一緒なら、飯田屋のどじょう。群れをはぐれて一人なら、神谷バーって手もある。うまく行けば常連の深見さんと会えるかも知れない。スポニチ時代の先輩の懐旧談につきあうのも悪くはない…。 ――と、まあ、そんな気分でふらりと葉山を出たのである。梅雨の・・・

新歩道橋811回

   船村徹の涙を見た。眼鏡をずらして、彼はナプキンでそれを拭った。6月12日夕、新高輪プリンスホテルの飛天で開かれた「歌供養」のあとの懇親パーティーの席で、映像と歌で偲んだ髙野公男と星野哲郎のシーン。主賓の席で二度、船村は周囲の視線をはばかる様子もなかった。僕はその隣りの席で、出会うチ・・・

新歩道橋810回

   《変わらねえなあ、ちっとも…》 と、正直そう思った。6月5日、50周年のパーティーをホテルオークラで開いた舟木一夫についてだ。ステージ上のたたずまいがそうで、はにかむ様子がその代表。50年の相当な曲折を越え、今では長期劇場公演でおなじみのひとかどの存在になっているのに、そんな気配も・・・

新歩道橋809回

   何とも言いようのないほど、いい笑顔だった。5月22日午後、青山葬儀所で仰ぎ見た長良じゅんさんの遺影だが、その後何日経ってもあの『天衣無縫』ぶりが脳裏を離れない。74才で逝った芸能界の大物には、語弊のある四文字だろうが、半世紀を超えるこの世界での修羅場の、屈託のすべてを超越したものに・・・

新歩道橋808回

  長嶺ヤス子に会った。とっさの思いつきで、 「2曲くらい踊ってよ、5月19日、けやきホール…」 と頼んだ。相手は名だたるフラメンコダンサーだが、このところ演歌を踊ることに熱中している。スペインで磨いた舞踊が、次第に日本的な精神と表現に回帰、得も言われぬ〝長嶺流〟に昇華していて、行きつい・・・

新歩道橋807回

   「これで、最初で最後の親孝行が出来たような気がします」 作曲家の蔦将包が例によって、あまり感情を現わさない表情であいさつをした。その割に声に、緊張と安堵の色がにじむ。居合わせた僕ら90人ほどは、大いに共感の拍手をした。4月27日金曜日の夜、八重洲口のヒットスタジオトウキョウで開かれ・・・

新歩道橋806回

   「元気をもらった」とか「勇気をもらった」とかの発言をしょっ中聞く。最初は《そんな表現もあるか》と耳新しさを感じたが、それが常套句になり、手垢がついて来た昨今では、気分が少々すべる。「元気」や「勇気」や「やる気」というものは、他人とやりとりする代物ではないせいだ。 3・11以後、それ・・・

新歩道橋805回

   例年になく、この春は二度も桜を観た。といっても酔客で賑わうことのない場所で、ごく自然に咲き誇っている奴だから、何だかしみじみと心洗われるような気分。 《俺にも、こんな素直さがまだ、残っていたのか》 と、少々くすぐったい思いもした。 まず4月4日の世田谷・九品仏、浄真寺がその現場。前・・・

新歩道橋804回

  「昭和」が売りものである。ことに戦後。時代を検証するものから青春回顧録、今だから話せる裏面史、ゴシップなど。政治、外交、文化、世相にまつわる出版物は山盛りだし、イベント、講演のたぐいまで、毎日どこかしら…の賑わいだ。敗戦からの復旧、復興へ、エネルギッシュでずっと右肩上がりだった日本の・・・

新歩道橋803回

   少し早めに会場へ行ってみたら、原田英弥がちょこまか落ちつかなかった。座席の数やら並べ方、クロークのあんばい、アルコール類への目くばりなど。それが僕の顔を見るなり低頭して、 「お疲れさんです。でもダメだよ、このためにスケジュール変更したりしちゃ…」 と渋面を作って見せたりする。3月2・・・